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レーモン・ウルセル『中世の巡礼者たち』


やや詩的な文体で、サンティアゴ・デ・コンポステーラをはじめとする中世の巡礼について記した本。中世において巡礼が果たした一般的な役割から、巡礼路の様子、『サンティヤゴ巡礼の案内』という12世紀の有名な本、そして巡礼路にある教会について書かれる。

著者は中世の美術史・建築史に造詣が深い。主にフランス南部のロマネスク様式の教会建築について、細かく書かれている。とはいえ、教会一つ一つの建築様式を文字だけで追うのはかなり苦しい。

詩的な文章ゆえにか、論旨を論理的に追うのに困難を覚えた。散文調にバラバラと扱われる話題は、何を著者が書こうとしているのかを見失う。教会建築のところは、一つ一つ丁寧に扱っているので読みやすい。この本は評価が高く、歴史的想像力によって中世の日常的な世界を生き生きと描き出しているのだという。私にはそんな印象はまったくなかった。
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大湾秀雄『日本の人事を科学する』


人事経済学や組織経済学の観点から、人事領域においてどのようなデータ活用が可能を書いた本。著者の主催する人事情報活用研究会で、各企業が実際に自社内の人事データを分析した事例が多数載っている。人事分野はHRtechとして徐々に盛り上がりつつはあるが、データ分析からは遠い世界になっている。こうした状況で、人事分野で何ができるかをかなり具体的に書いており、参考になる一冊。

人事のデータ活用が遅れている理由として著者は以下の理由を挙げている。人事部の人は文系が多く、統計リテラシーが低い。人的資源管理論は定性的な議論が主になっている。日本の企業では新卒採用の画一的プロセスが主だったため、経験や勘がさほど大きな間違いを生んでこなかった(p.21f)。それ以外にも、人事領域は人によって人を判断する定性的な判断、あまり客観的ではない判断が散見されていて、教師ラベルをきちんと定義するのが難しいこと。データそのものが個人情報なので外部にはなかなか分析を委託できないが、かといって内部ではその分析する当該の人や関係者がまさにデータに含まれてしまっていること、などもあるだろう。だが企業の人事データには統計資料にはない個人レベルの情報が豊富。これを活かさない手はないだろう(p.39)。

そのため、導入部のあとの第二章ではデータ分析のやり方について概観している。本書で扱う手法は多変量回帰分析のみ。データ件数も500件程度がよく見られる。大量のデータを用いた非線形モデルでの機械学習などは本書の範囲外。まずは読者のレベルを想定して線形モデルの範囲内にとどめたのだろう。とはいえレベルは低くはない。例えば単純に男女での差を比較するのではなく、勤続年数や出身大学などの特徴量を説明変数として入れてコントロールすることの必要性を始め、統計的因果推論の考えが多く用いられている。それ以外にも線形回帰モデルを重視する理由としては、一つ一つの要因が目的変数に与える効果が偏回帰係数から分かり、費用対効果の高い施策を選択できるというのも挙げられる(p.180)。要は説明力と予測力のバランス。

扱われている話題は、男性と女性の賃金や管理職昇進スピードについて、長時間労働や育休取得の働き方改革、優秀な人材の採用、年功賃金と離職の防止、中間管理職の生産性と貢献度の測定、定年延長と介護離職について。こうした問題について、社内で取っている施策が果たして効果を生んでいるのかどうかをどのように測定・評価すればいいかが論じられる。人事領域の施策は、何かを目指して整備実行したとしても、結果測定をしていないケースが驚くほどある。

人事領域においても基本的にはA/Bテスト、あるいはランダム化比較試験(RCT)がなされるべきだろう。たしかにRCTは施策を受けられる人と受けられない人の不平等が発生する。しかし施策が良ければ、それは広範囲に展開されるのだから、結局のところ施策の利益を受けるのは全員だ。不確実性の高い施策を一気に実行して、損害や混乱を招くリスクを負うよりはマシではないか。例えば働き方改革において、働き方の改善に向けた研修や施策の対象者を応募すると、もともとそれに関心のある人が参加してきて対象者にバイアスが生まれる内生性の問題がある。在宅勤務の有効性を実験で検証したCtripの例は、とても示唆にあふれる(p.125-130)。

定年延長と介護離職の問題は、自分の関心から外れていることもあるが、企業内のデータ分析というより、政府統計を使ったかなり一般的な話に終始している(p.211-231)。多変量回帰分析もこの章では出てこない。

私の関心からは採用施策が面白かった。著者は企業の採用力を3つに分けている。企業知名度を上げ必要な人材に自社を知ってもらう採用マーケティング力、多くの企業の中から自社を選んで応募してもらう採用差別力、応募者の中から自社に必要な人材を正しく選択するスクリーニング力。採用施策の分析にあたっては、この3つの力に分けてそれぞれ分析することが有効。多変量回帰による分析では、社会全体の就職内定率を説明変数とした回帰式の偏回帰係数から見ることができる(ただし性別、勤続年数、職種など多くの説明変数を入れて影響をコントロールする)。つまり、採用人材の入社後の評価を目的変数としたときの就職内定率の偏回帰係数が負であれば、内定率が上がるにつれ優秀でない人材が集まっているということであり、採用マーケティング力と採用差別化が弱いことがうかがえる。離職率を目的変数としたときに就職内定率の偏回帰係数が負なら、不況で内定率が下がったときに採用はできても不本意に採用された人材が多くなるということであり、採用差別化とスクリーニング力がないことがうかがえる(p.142-148)。ただし採用においては、採用後の評価は(当たり前ながら)採用人材に対してしか存在しないので、サンプルバイアスがあることに何度も注意が向けられる。

採用についてはいくつか面白い研究結果がある。面接結果と入社後のパフォーマンスはあまり関係ないこと。応募者に何を聞くかを面接者に任せるのではなく、定型的な質問を全応募者に問うのが良いこと。学校の成績による入社後の評価への影響は入社後3年程度で消えること。

入門的な本なのでレベルが抑えられているのが私には物足りないが、人事領域でのデータ分析の本として参照できる良い本。この領域でもどんどん普及して、非客観的な人事評価を追いやってほしい。

渡部哲郎『バスクとバスク人』


スペインのバスク地方の研究で有名な著者が一般向けに記した本。ほぼバスク地域の歴史について時系列順に記している。読みやすい形態でもあるので、バスク地方の歴史についてしっかりしたことを知りたければ、最良の選択になる本だろう。

バスクといえば19世紀以降のバスク民族主義が有名。しかし著者は「多様化するスペインと民族を前面に出した一元支配を固持するバスクという、今日の地域紛争の構図にフレームアップするのは短絡的である」(p.25)として、バスクを民族主義の点からのみ見ることを戒めている。この本で見られるのは、それ自体多様であり、また外の世界に向かって広く開かれているバスクの姿だ。

そもそもバスクは現在はバスク自治州としてスペインの一部となっている。こうした行政区分としてのバスク自治州はエウスカディと呼ばれ、これとは区別してバスク語を話す人たちの地域をエウスカレリアと言う(p.23, 28f)。バスク語地域としてのエウスカレリアは、現在のバスク自治州を超えるのみならず、フランス南部にまで及んでいる。ただし、その統一性はバスク語にほぼ限定され、例えば国境を挟んだスペインバスクとフランスバスクの統一性はあまり見られない。

このバスク人の起源は、インド・ヨーロッパ語族に属さない独自のバスク語とともに謎が多い。バスク人をピレネー山脈周辺に居住していた原生人類クロマニヨン人を祖先とする集団であるとする仮説が、断定的に論じられている(p.30-35)。実際はそのバスク語の起源とともに、北アフリカからジブラルタル海峡を渡ってきた人たちではないかという仮設が立っている(p.36-43)。

バスク人の特徴をなすのは、カセリオという、家を中心とするバスクの農村共同体だ。こうした小さな共同体が形成されたのは、バスク人が山がちな土地に散在して生活してきたためとされる。カセリオは家の長子が相続する仕組み。この長子相続の仕組みは、長子でないバスク人が外に進出する要因ともなった(p.57-63)。こうしてバスク人は、広くヨーロッパや海外に進出する。大航海時代を始めとして、海外に進出したバスク人が取り上げられている。また1728年に、フェリペ五世がベネスエラのカラカスとの間で設けた定期航路の存在が面白い。半世紀以上、ベネスエラはバスク人の移民先であり、バスク人の経済植民地であった(p.92)。しかし、バスク人が作り上げた海外やヨーロッパのネットワークは、フランス革命や植民地の独立運動により、統一したまとまりをなす前に個々人の資質に還元されていった(p.95f)。

バスク自治州の中心をなすビルバオ(バスク語ではビルボ)は、ビスカヤの鉱山から採鉱される鉄で古代から有名。シェイクスピアの作品にも登場する。1848年には最初の高炉が建設される。1930年にはスペイン全体に対するシェアは、粗鉄生産で78%、鉄鋼生産で74%、造船71%などだ。大きな資本を必要とするこれら産業を目当てに、金融業も大いに発展した(p.106)。こうした鉱工業の発展は、農村や他地域からの人口流入を招き、バスクの土台であったカセリアの変質を結果した(p.103-108)。

スペイン内戦で共和国側についたバスクは、フランコ将軍側による激しい攻撃、戦後の弾圧を受ける。スペイン内戦によるバスク人の疎開先となったのはメキシコ(p.140-142)。他のラテンアメリカ諸国が受け入れなかったのに対し、メキシコは例外的。さらに、バスク亡命政府はアメリカへ移った。アメリカの東海岸と西海岸の温度差が描かれる。自治奪回に向けた政治的議論は東海岸でなされた(p.142-149)。こうしたバスク人の海外ネットワークは現代に近くても活きる。グッケンハイム美術館のビルバオへの誘致(1997年開館)にあたっては、かつての海外移住によって広がったバスク人脈が活かされたという(p.201)。

最後に、バスク民族主義の創始者サビーノ・アラナのバスク語理解が、バスク語を話すバスク人というより、カスティーリャ語を母語とするビルバオ人の発想ではないかという、バスク語言語学者クルトゥビッヒの指摘は興味深い(p.185-188)。ビルバオではビルバオ方言のカスティーリャ語が話されていた。こうしたエスニシティを巡る権利主張は、しばしばその中心からではなく、外部との比較視点をもつ周縁から生まれる。

能町光香『誰からも「気がきく」と言われる45の習慣』


優秀な秘書が書いた、相手を配慮するスムーズなやり方が載っている。一貫したメッセージは、相手を尊重すること。たとえ気遣いを発揮しても、相手の求めている方向と一致していなければ気遣いとして成立しない(p.12f)。大げさなことをやる必要はなくて、ちょっとした小さなことを適切なタイミングで積み重ねることが大事(p.32-37)。

とはいえ、この相手を尊重することとはどういうことなのかはいま一つ分からない。遠慮してしまったり、断ることがうまくいかない人と比較して語られている(p.18f)。とはいえ遠慮がちな人も、相手の気持ちを尊重するあまりそうなっているわけだろう。ほんとうの意味で気が利くようになるには、人に興味をもつことが根本だという(p.55-57)。では、それはどうしたらいいのだろう。

こうした啓発系の本はどれも、あるやり方を示しながら、どうやったらそうなるのかを示していない。それが意識せず自然にできるからこそ、本を書くようなレベルにまで秀でている人であるのだから。

ピエール・バレ、ジャン・ノエル・ギュルガン『巡礼の道 星の道』


フランス人ジャーナリスト2名による、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの聖地巡礼について。著者自身もフランスのヴェズレーから1700kmの巡礼行を50日かけて行っている。その過程の日誌は本文ではなく、巻末に補遺のように収められている。本文にはおおむね12~18世紀の文献から、巡礼を行った人々や、巡礼行の経由地の様子について書かれている。

私にとって面白かったのは著者たちの日誌のほうだった。これは1977年に行われているが、本文で扱われる時代との落差が面白い。アスファルトにすっかり覆われ、あるいは大きな道路によって分断された巡礼の道。足への疲労は、現代ではしっかりした靴があるとはいえ、かなり大きい。フランス国内ではコンポステーラへの巡礼について知っている人が少なく、浮浪者や不審者扱いされる。野宿するに軒先を借りようとも断られ続ける次第。巡礼者に対して食事や宿泊を振る舞った昔の時代とはまったく違う。はては修道院にさえ、冷たくあしらわれる。。。

本文はあまり時代を区切って書かれていない。また、巡礼路にしたがって書かれているというより、トピックごとに書かれている。例えばどんな人が巡礼に出かけたのか。請願や悔誓願や悔い改め、病気の治癒といった伝統的な理由(p.20-26)から、ごたごたから逃げるための口実としての巡礼、他人に代わって代理で巡礼するビジネス(p.27-32)、または懲罰としての巡礼(p.32-35)。もともと本書の原題は巡礼者に声掛けするお決まりのセリフ、「私達のためにコンポステラで祈ってください」。

巡礼が盛んになるについて、道や橋が整備される。こうした整備を寄進するのもまた、巡礼に携わる一環となる。巡礼路に潜む危険、盗賊や山賊たち、あるいは無理解・無関心な非キリスト教徒たち。本書はフランス人の視点から書かれていることもあって、フランス国内からピレネー山脈を超えてスペイン国内につながる巡礼路が大きく取り上げられる。スペイン国内に入ってからナバラ地方、カスティーリャ地方、ガリシア地方に至る巡礼の主要路は、カミーノ・フランセス(フランスの道)と呼ばれている。

カミーノ・フランセスに殺到するフランス人たち。最盛期には巡礼路の小さな村々を一日あたり1000人が通過していったという(p.244)。カミーノ・フランセスが定着した12・13世紀、巡礼者目当てのビジネスも盛んになる。カミーノ・フランセス沿いの街を席巻し、地元の人々を辟易とさせるフランク人の商人たち(p.89-92)。

本書は歴史家でなくジャーナリストということもあるが、歴史的な整理はあまりされていない。トピックごとの記述がメインで、そのトピック内での移り変わりや位置づけなどは見えてこない。クリュニー修道院のサンティアゴ宣伝による定着とか、いわば「公式」の歴史は本書にはなく、数世紀にも渡る「巡礼の時代」における民俗誌となっている。そのため、もっと広範な視点での記述を期待するとやや肩透かしにあった。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼は、ペスト、宗教改革により一時衰退するが、やがて対抗宗教改革を経て17世紀に再び盛んに(p.244-252)といった大づかみのストーリーをまずは見たかった。