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世阿弥『風姿花伝・三道』


言わずとしれた、室町時代において能を大成した世阿弥の能楽論。思ったよりずっと読みやすい。能についての芸術論というより、むしろこれはショービジネスを生き抜くためのノウハウ本に見える。室町時代当時の能はまだ自立した芸術の地位を獲得していない。権力者に気に入られ、庇護を得られなければ存立は難しい。いかに権力者を始めとする観客を引きつけ、評価を勝ち取るかの方法を指南している。

観客が誰であり、どのような能を望んでいるか。能の舞台については基本的に観客の目線から書かれている。貴人の来訪や観客の様子に合わせた舞台の演じ方を細かく論じる(p.90-93)。観客のレベルに合わせた舞台を行い、誰もに感動を与え幸せにすることこそが芸能だという(p.198-202)。芸術として審美眼を持つ分かる人が分かればよい、という評価ではない。能楽はショービジネスである。

能には強さと幽玄がある。写実的に演じれば自然と題材の強さや幽玄が出るから、無理に引き出そうとしないこと。ただし観客が幽玄を好むときは、写実的にはそうでなくても強き方を幽玄の方に寄せるべき(p.226-228)。いかに写実的であるべきかは、執筆年代での考えの揺れも見られる。

舞台における花、つまり感動や面白さは観客が感じるものだ。芸能は観客に新奇性を訴えてこそ感動や面白さ、つまり花を与える。花は新規性によるということ自体が広く観客に知られてしまえば、観客はなにか新奇なものが演じられると期待してしまい、新奇性の効果が薄れる。したがってこの戦略は明らかにしてはならない。本書が秘伝の書であることの所以。そもそも、なにか秘するものがあるということ自体も気づかれてはならない(p.279-281)。有名な「秘すれば花、秘せれば花なるべからず。」という文言はこのような、ショービジネス戦略の文脈にある。

花こそ能のすべてであり奥義であるが、花を咲かせるには種として稽古を積まなければならない(p.140f)。芸格は才能として本人に生まれつき備わっているものであり、そうした才能あるものが稽古を積んで初めて開花する(p.125f)として、多くの地道な努力の必要性を訴える。
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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。
しかし博士号は取らずPh.D. Candidateで進路変更。
哲学と特に関係なくIT業界に住んでいる。

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