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太田泰彦『プラナカン 東南アジアを動かす謎の民』


プラナカンという東南アジアにおける華僑の子孫について書かれた一冊。新聞記者によるもので、歴史書というよりエッセイ風。総論、文化的特徴(食器やタイル、刺繍に見られる特徴的な色使い)、日本軍による破壊の歴史、いまなお各地に残るプラナカンたちへのインタビューと記述は続く。

プラナカンは15-16世紀に中国南部、福建省や広東省からの東南アジアに移り、特にペナン、マラッカ、シンガポールに定着したもの。女性が出国することが禁じられていた時代なので、地元の女性を妻とし、中国でもマレーでもない独自の文化を形成した。土着性よりも漂流感、開拓者精神を感じる(p.13-17)。シンガポールにおいては特に、プラナカンはイギリスの東インド会社の保護の下で優雅に暮らす華人の上流階級、宗主国であるイギリスのいわば手先であった(p.29-31)。

シンガポールの立役者リー・クアンユーもプラナカンだが、土着のマレー人でない華人が支配する印象を与えないため、プラナカンと呼ばれることを拒否した。プラナカンの存在自体、1990年代までタブーだった(p.30-35, 38f)。とはいえ、実務を重んじる教育、勤勉を旨とする労働観、国という単位を超えて世界経済を眺める世界観といったプラナカン独特の価値観は、リー・クアンユーにも見られる(p.134f)。リー・シェンロンの時代になって、プラナカンは国家アイデンティティを形作る新たな概念として捉え直されている(p.46-54)。

シンガポールやマレーシアとは異なり、タイやインドネシアで捉えられているプラナカンは、現地の女性と家庭を持って島内に根付いた華人の子孫を指している。そのため例えばそうした人たちが集積しているプーケット島では70%、約28万人がプラナカンということになる(p.151f)。インドネシアでも同じ(p.187f)。とはいえ、ASEANの設立に多大な貢献をした、タイ外交官タナット・コーマンなどには、まさにプラナカンの国際感覚が見られるという(p.175-178)。

プラナカン文化に壊滅的影響を与えたのが、第二次世界大戦における日本軍。シンガポール占領後に日本軍は、プラナカンに対して5000万ドルの献金を要求した。この金を用意すべく、プラナカンたちは食器や骨董品などの伝統品を安値で売り払った。これによりプラナカンの伝統文化は雲散霧消し破壊された(p.99-105)。もちろん、ソチン虐殺事件(シンガポール華僑虐殺事件)もプラナカンの記憶に深く残っているものとして忘れるべきではない。

移民であり、異文化との融合を旨として生きてきたプラナカンだが、その融合ゆえにアイデンティティが消えていく側面もある。タイのプラナカンはむしろタイ人としてのアイデンティティを語る(p.179)。ただ、今のマレーシアではマレー人と婚姻関係を結ぶ場合、イスラム教に改宗しなければならないため、現在のプラナカンは、異文化との融合を失った行き止まりの状態にあるという点も興味深い(p.89f)。
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