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岩崎育夫『物語 シンガポールの歴史』


とてもよく書けている。シンガポールの歴史についてのまず読むべき本だろう。独立以前の歴史はもとより、独立後の開発独裁の光と影、変化する社会に対して政府が苦悩する姿などよく書かれている。

シンガポールはイギリスの植民地化によって誕生する。他の植民地と異なるのは、原住民がいてそれをヨーロッパが支配するのではなく、そもそもほとんどゼロから都市そのものが立ち上がったことだ。シンガポール建設の父ラッフルズの卓見。ラッフルズはマレー語も理解し、東南アジア地域について博学。その知識がシンガポールの地理的重要性を見抜いた(p.6-11)。イギリスのシンガポール支配は制度的によく考えられたものだ。イギリスは華人、マレー人、インド人などをそれぞれ別の場所に住まわせた。これは植民地支配への不満を一つにしないための政策。他の植民地でも取られた処置(p.19-22)。これはうまく機能したが、独立後の国民統合を困難にした側面もある(p.35)。独立後の政府の住宅政策では、民族を混合させて住ませるようになる。

一方で第二次世界大戦での日本支配は、華人虐殺と軍資金の強制徴発でシンガポールでの評価は低い。イギリス統治は法制度や教育制度など、近代国家に向けた基本的制度を整えたものと評価されるが、日本統治はただ住民の生活と社会秩序を破壊しただけと考えられている(p.53-55)。

著者の専門が独立後シンガポールの政治経済であることもあって、メインの記述は独立後。むろん、建国の父リー・クアンユーを中心に追う。出発点として、1954年11月21日に人民行動党が結党される。政治的イデオロギーがまったく異なる英語教育グループと共産系グループをリー・クアンユーが仲立ちして成立する。英語教育グループが頭脳、共産系グループが手足として相互補完する同床異夢の政治社会集団となった(p.65-67)。ここからしばらく、人民行動党は共産系のグループと死闘ともいえる政治闘争を繰り広げる。

シンガポールのマレーシア連邦加盟と追放の過程はよく書けている。マレーシアを国内市場として工業化しようとするシンガポールと、すでに豊かなシンガポールよりもマレーシアの発展を優先させるマレーシア側。発言権を獲得すべく展開した人民行動党の活動が、マレーシアの国家体制の破壊行為に映り、追放に至る(p.78-86)。シンガポールの独立はリー・クアンユーにとって最大の挫折経験。しかしここでいわば覚悟が決まったといえよう。

猛烈な危機感のもと、出発したシンガポールの政府でリー・クアンユーは、国のために正しいと考えることをできるだけ迅速に進めるために、批判勢力を抑え込む。人民行動党の国会独占と、批判勢力の徹底的な弾圧と排除が行われる。例えば1981年に独立後初めて与党独占を破った労働党のジェヤレトナム書記長に対しては、国会法を改正して遡及適用してまで議員から排除、自己破産に追い込むなど弾圧は容赦ない。リー・クアンユーの理想は野党の議席がゼロであること。選挙は民主主義国家の形式を満たすだけのものにすぎない。後になって1984年に野党が2議席を取っただけで危機感が高まり、各民族から候補者を立てなければならない集団選挙区制度を導入して野党を排除に動く(p.98-105)。

人民行動党の政策はプラグマティズムに貫かれている。思想や一貫性より、徹底的に効率を求め、朝令暮改も辞さない。教育制度にもそれは見られる。教育課程の各段階で試験があり、その結果で進路が決まる選別的教育制度。敗者復活もないし、遅咲きの生徒が上級学校に進める余地もほぼない。政府は人間の才能の有無を早く見極めなければならないというリー・クアンユーの考えに基づく。成績の悪いものにはこれ以上の教育は不要という効率の追求が教育制度にもある(p.118-120)。

空恐ろしくなるほどの独裁政治だが、人民行動党は国民を管理して様々な要求をする一方で、その代償として住宅政策を始め社会厚生の提供を怠らなかった(p.149-151)。国民もこうした厚生や何よりも経済発展による利益を享受し、人民行動党を支持し続ける。とはいえ、1990年末からゴー・チョクトン時代になり、自由化の流れがシンガポールにも訪れる。だが1991年選挙での野党躍進をリー・クアンユーに徹底的に批判され、再び独裁強硬路線に回帰。1993年のシンガポール民主党のリーダー、チー・スンジュアンへの弾圧。人格攻撃、法廷侮辱罪、破産宣告へ追い込む苛烈な手法。シンガポールはアジアの民主化潮流に背を向け、歴史の時間は1970年代に逆戻りした(p.158-163)。

2004年夏からリー・シェンロンの時代に。2006年総選挙で人民行動党は圧勝するが、その裏では若者を中心に管理支配に対する不満が溜まっていった(p.188-195)。例えば、シンガポールも少子高齢化の問題を抱え、学歴水準を限った多産奨励政策を行うがあまり効果がない。ゴー首相時代から進められた外国人移民奨励政策にも国民の不満が高まっていき、見直しを迫られる(p.204-208)。

そして2011年の転換点を迎える。2011年総選挙での人民行動党の敗北は、外国人移民による雇用機会の減少と外国人投資家による不動産価格の上昇が生活環境を悪化させたこと、若い世代を中心に管理整理に対する不満がインターネットで共有され広まったことにある(p.213-215)。2011年総選挙は国民目線の政治への転換、リー・クアンユーら旧世代の引退など、シンガポール政治の転換点となった(p.219-223)。国民に利益を供与し続ければ支持は得られると考えていた、リー・クアンユーの思いは打ち破られる。その政界からの引退を、著者はリー・クアンユーの二つ目の挫折と位置付ける。

善悪両面にわたって客観的にシンガポールを見つめた良書だ。
単純化して言えば、アジアで植民地化が本格化した19世紀初頭に、数多くの中国人が東南アジアの小さな島に出稼ぎに来て社会が誕生し、第二次世界大戦後の民族対立のなかで、イギリスの諸制度に倣って国家が創られたのがシンガポールなのである。(p.228)
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