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岸上伸啓『クジラとともに生きる』


アラスカのもっとも北に位置して、北極海(ボーフォート海)に面するバロー村でのフィールドワークの結果。バローにいまだ根付いている捕鯨の文化を追う。特に鯨を捕ったあとの肉の分配に注目している。筆致はややエッセイ風で堅苦しくない。

フィールドワークを行う人類学者個人の視点から多くが書かれている。第一章はどうやってバローでのフィールドワークにたどり着いたか。裏事情がいろいろ書かれていたりする。同じ場所で調査を行っている文化人類学者はお互いに商売敵であって、情報提供者の囲い込みを行い、仲が良くない場合が多いなど、やや意外だった(p.22)。著者の場合はそういうことはなく、他の人類学者や現地の情報提供者ともうまくやっていけたようだ。捕鯨文化の調査は、昨今の反捕鯨運動の影響で、現地の人に警戒されることが多い。同じ捕鯨国である日本から来たことや、そもそもバローの先住民イヌピアットと日本人は見た目が似ていることも良い方向に働いたようだ。

北極海に面した極北の地というと、大した作物もなく、人々は貧しい生活を送っているように思ってしまう。だがバローは人口5,000人弱を擁するノーススロープ郡(ボロ)の中心部。もちろん電気や水道は完備され、スーパーマーケットには世界の農産物が売られている。さらに、1968年の石油開発以降、石油開発会社や合衆国政府からの補償金を運営する会社からの配当金があり、バロー村の住民の生活は思ったよりも豊か(p.46-49)。こうした経済状況で、成人男性の半分以上が狩猟や漁撈に参加している(p.50-55)。

伝統的な捕鯨文化が続いているように思われがちだが、内実は時代で変転している。20世紀になってイヌピアットとはキリスト教を受容したため、鯨はキリスト教の神からの贈り物であり、善き行いをする人のもとにもたらされるという信仰がある(p.111-116)。よって、捕鯨グループのキャプテンは品行方正であり、皆に尊敬されるような存在。鯨が捕れるように祈る、あるいは鯨を捕ったあとに感謝を捧げるのはキリスト教の神だ。カナダのイヌイットとは違って、すべての海獣を産み出し支配するような神は考えられていないようだ(p.120)。キリスト教受容の過程で、それまでの捕鯨にあった祈りや歌などが失われた。それに対し、捕鯨シーズン終了時の船をあげる祭アプガウティは、40年ぐらい前に作り出された新しい祭りであり、伝統的なものではない(p.82f)。

捕鯨グループの創設や維持には多額の資金が必要。ウミアットという手漕ぎの船(浸水防止にアザラシの皮を張る)、アルミ製のボートとエンジン、スノーモービル、銃などの狩猟道具、ガソリン、捕鯨シーズン中の食料など。捕鯨キャプテンはこれらを用意してから、メンバーを集める。現在では、捕鯨の結果得られた鯨肉や脂皮を売って現金収入を得ることはできない。よって、親や兄弟から捕鯨グループを引き継ぐ他は、自分で他で現金収入を得てグループを創設しなければならない。こうした資金は普通の勤めでは維持できず、実はイヌピアットの捕鯨を掲載的に可能にしているのは、先住民地域会社とアラスカ州政府からの配当金だ(p.184f)。

捕鯨は準備も実施も、その後の解体や感謝祭まで極めて大変な労力を必要とするが、なぜ捕鯨を行うのか。著者は、栄養価の高い食料の入手、エスニックアイデンティティの維持、祭りの一体感を挙げている。また、鯨が捕れたら、鯨肉や脂皮はコミュニティに分配される。なぜ分配するのか。著者は、分配規則が捕鯨に必要な協働作業を可能にすること(特に解体作業は協力なしには困難)、コミュニティ全体の福利、捕鯨キャプテンの社会的名声の獲得手段を推測している(p.155-161)。

自然への敬意やコミュニティとしての支持のもとで捕鯨が続けられていることが分かる。日本も捕鯨国だが、果たしてここまでのレベルで文化が継承されているのかどうか。
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坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)

Author:坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
数学の哲学を専攻して研究者を目指し、20代のほとんどを大学院で長々と過ごす。
しかし博士号は取らずPh.D. Candidateで進路変更。
哲学と特に関係なくIT業界に住んでいる。

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