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上山安敏『宗教と科学』

宗教と科学 ユダヤ教とキリスト教の間宗教と科学 ユダヤ教とキリスト教の間
(2005/07/22)
上山 安敏

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重厚な一冊。ずいぶんと大きく構えたタイトル。内容は、ワイマール期ドイツにおける、(主に)プロテスタントとユダヤ教の思想的関わりについて。相当に錯綜していることが予想される、困難なテーマである。タイトルの「科学」は自然科学のことではないだろう。おそらく、あの「精神科学Geistwissenschaft」のことだ。

基軸となるのは、聖書解釈学である。特に、1920年代の宗教史学派から始まる聖書についての批判的、「科学的」読解。中心として取り上げられるのがヴェルハウゼンという学者である。この宗教史学派は、まず旧約聖書を歴史的に解体した。それにより、トーラー(モーセ五書)が権威を失う。シナイ山上でモーセがヤハウェから口授され、延々と伝えられてきたとされるトーラーは、第二神殿(バビロン捕囚からの帰還)以後のものとされる。そしてこの第二神殿以後のユダヤ教、「後期ユダヤ教」は、複雑な律令と祭祀に捕らわれた、退廃したものだと考えられた。

著者が示すのは、当時の有力なドイツの思想家がいかにこの宗教史学派の視点を共有していたかだ。つまり、ユダヤ教を前期と後期に分けて、後期ユダヤ教を退廃したものと考えるこの視点が。ニーチェは後期ユダヤ教とキリスト教を祭司の宗教、ルサンチマンによる宗教と見て、前期ユダヤ教を持ち上げる。フロイトは後期ユダヤ教を批判しながら、前期ユダヤ教を超えたエジプト人「モーセ」によるモーセ教に、自分のユダヤ人としてのアイデンティティを賭ける。ウェーバーは、複雑な規則に捕らわれた後期ユダヤ教からのキリスト教の離反と成立を、「脱魔術化」の一過程と見る。

また、宗教史学派と並んで重要なのは文化プロテスタンティズムの流れだ。それは、後期ユダヤ教に同じく、規則や教会の支配に捕らわれたキリスト教を解放しようとした。宗教は儀式から、より個人の内面を扱う--つまり、プロテスタンティズムの「倫理」となる。パウル、リッチュル、ハルナック、トレルチといった人々。彼らはプロイセン国家の思想的背景となる。

本書には当然の事ながら、以上に対するユダヤ教側の動きも記される。ユダヤ教側ではカントとメンデルスゾーンのやりとりにあるように、啓蒙期には理性の下でお互いが批判しあう地平があった。だがそれは、宗教史学派のユダヤ教批判、それと表裏一体の反セミティズムの中で失われていく。ユダヤ教側でも、複雑な儀礼や祭祀を廃した本来のユダヤ教の姿を探る「ユダヤ教科学」が起こった。だが、次の世代はこのあまりに「科学的」な手法も、ユダヤ教本来の要素を見失わせていると批判する。かくして、ブーバー、ショーレムが登場する。

非常に情報量の多い本。著者はもともと法制史の研究者であるが、ここまで聖書解釈学に踏み込むのは驚きでもある。複雑に絡み合った思想世界を、少しづつではあるが解きほぐす。もちろん、中にはやや強引と思える読解もあり、著者も反論に応えている箇所もある。とてもハードなレベルの高い一冊。
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