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ニコラウス・アーノンクール『古楽とは何か』

古楽とは何か―言語としての音楽古楽とは何か―言語としての音楽
(1997/06/01)
ニコラウス アーノンクール

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バロック時代の古楽演奏を切り開いた指揮者として有名なアーノンクールの音楽論。19世紀ロマン派以降の音楽の眼でバロックを扱うことがいかに間違っているかを力説。概説的な論文もあれば、記譜法、アーティキュレーション、オーケストレーション、果ては演奏会場の音響に至るまで、バロック時代の細かな論点を扱ったものも。

音楽は言葉では表現できないものの言語である。それはその時代の人々が話す言語。だから、後の人はその時代を理解しなければ決してその言語を理解できない。だが、音楽は現代では言語としての機能を失った。それは美しくなければならない。単なる人生の装飾であり、「灰色の日常から癒されるための美しさ」(p.9)だけが求められている。

アーノンクールの理想は、この言語(響きの話法Klangrede)としての音楽を取り戻すこと。1800年以前の音楽は言語であり、理解の対象だ。それ以降は気分であり、感じるべきもので理解するべきものではない(p.59)。かくしてモーツァルトさえも、ただ美しく、楽しい音楽として求められる。

なかでも、楽譜についての話は目を引いた。楽譜それ自体を重んじ、楽譜通りに弾くことが「作品に忠実」だとする態度こそ、最大の敵である(p.78)。楽譜には二つある。一つはそれ自体が作品であり、その再現方法を示してはいない。もう一つは、演奏の方法が記されたもの(p.40)。バロック時代の楽譜は前者であり、それをいかに演奏するかは時代背景を読み解かなければ分からない。なぜなら、当時の音楽は狭いサークルのなかで行われていた。聴衆たちや演奏者たちは音楽の知識を高度に身につけており、そもそも細かな演奏指示を書く必要がなかったのだ(p.194f,205)。

一点だけ気になることは「百年以上も前から、われわれの楽器は事実上変わっていない」(p.120)というくだり。これは納得がいかない。単に、新しい楽器を「クラシック音楽」が扱えてこなかっただけだ。ここ百年でいかに革命的な楽器が多数生まれ、音楽に広大な語彙をもたらしてきたかはすぐに分かる。音楽家でもない、普通の人間が日々接する音楽は、そのほとんどが百年前には存在しなかった楽器で構成されているだろう。

アーノンクールの痛切な叫びを引用しておく。
「われわれはたいてい、何かすでに決まってしまっているものを聴いたり体験したりしようとしており、<耳を傾ける>行為がもつ好奇心の姿勢を一度は習っても、忘却してしまっている。あるいは、音楽を通じてわれわれに告げられることを、もはやまるで聴くつもりがないのかもしれない。われわれの音楽文化とは、労働と衝突にうんざりした一日の後で音楽のなかに少々の美と平安を手に入れる、本当にそれだけのことでよいのであろうか。もはや音楽がそれ以上をわれわれに与える必要などないのか。」(p.221)
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