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リチャード・ヒックス『経済史の理論』

経済史の理論 (講談社学術文庫)経済史の理論 (講談社学術文庫)
(1995/12/04)
J・リチャ-ド・ヒックス

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これはかなり難しい。市場経済がいかに広まっていったかについて。タイトルが示すとおり、経済史の理論であって、経済史ではない。著者は理論経済学の大家で、歴史家ではない。市場経済が発展してきた理念的モデルを提示する本だ。もちろん実際の歴史的事項はふんだんに出てくるけれども、それらは理念的モデルの例証としてである。この本に対して、経済史家からは個々の歴史的事項についての誤解や歪曲が指摘された。だが、それは著者の意図するところではない。あくまで、理念的な発展史がこの本の主眼である。

まず古代社会の二つの組織形態が提示される。それは、王や貴族(そして国家)に代表される、トップダウンの指令経済体制と、農民(そして市民)に代表されるボトムアップの慣習経済体制である。この二つの経済体制の中からいかにして商業的なものが生まれてくるのか。そして、国家財政や農業の商業化として、いかにそれら二つの中に商業的なものが浸透していくのか。

市場経済には、商人が誕生してから現在まで三つの局面が見られる。まず、商人たちが自分たちで集まり、ルールや法を定める都市国家体制の第一局面。古代地中海のポリスに代表される。さらに、この都市国家が国家となり、国家が定まる法律によって商業が保護(あるいは排斥)される中期の局面。そして、産業革命を経てむしろ市場経済が支配的になる近代の局面である。

説明原理は常に経済のなかにある。例えば利ざやを取って運営する銀行のような業務が成立するのは、宗教改革より前だ。利子に対するキリスト教的嫌悪がすでにある領域で取り除かれていた。プロテスタンティズムの倫理はこれに関係するとしても、むしろ実際にすでに行われていた銀行業務がその倫理を作り出したのであって、(ウェーバーの言うように)逆ではない。(p.132)

また、中世ヨーロッパで奴隷が姿を消した理由の説明は、特に気に入った。奴隷制の衰退はたしかにキリスト教の普及と同時だ。だが、教会が奴隷の地位に関心を示したことはない。19世紀の黒人奴隷の解放と違って、これは道徳感情の問題ではない。では奴隷制を崩壊させたのは何かと言えば、自由労働のほうが奴隷より安くなったからである。もともと、奴隷の維持には変動費としての給料の他に、固定費がかかる。自由労働の雇用は変動費だけでいい。ただし、自由労働の供給が少なければ、その価格は高い。自由労働が豊富に供給されるようになれば、(労働効率が同じとして)自由労働のほうが安上がりになるのは極めて当たり前だ。(p.220f)

産業革命が革命的であったポイントは、固定資産(工場や機械など)への投資が中心的位置を占めるようになったことだ、という着眼がある(p.240)。これは私にはその深みがよく分からないがなかなか面白い視点だと思った。

本書が難しい理由の一つは、翻訳である。典型的な学術翻訳日本語で、出来はあまりよくない。英文の訳し方で不自然で読みにくいところも多々ある。また、訳語もことさらに難しい。例えば「利益均霑 All-round advantage」。「りえききんてん」と読むらしい。また、専門用語ではないが「低廉」は変だ。「安い」か「安価」でいいんじゃないのか。こうした変な日本語をかいくぐって読む作業は、(自分はドイツ観念論の醜悪な翻訳で慣れきっているとはいえ)なかなか骨の折れる。
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