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[C23] 更に

デカルトやフンボルトについてもチョムスキーの方が良く勉強しています。3000年前のpaniniまで読んでいる人です。
  • 2016-05-19 13:33
  • のほほ
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[C18] Re: 違います

少し調べてみましたが、確かにご指摘の通りですね。ありがとうございます。
  • 2013-09-13 17:23
  • ex-phenomenologist
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[C17] 違います

>現実に現れた言語ではなくて、その言語を生み出す能力としての深層構造を探求する

典型的な誤解です。深層構造は「言語を生み出す能力」ではありません。
  • 2013-09-12 10:21
  • ひなの侍
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[C7] どうですかねぇ

田中克彦は、深層構造の理解すらおぼつかない人です。間違いだらけの本ですから、チョムスキアンではない言語学者の私でもそれには気がつきます。深層構造は全言語に不変なものではないし、思ったことでもありません。田中克彦はまったくチョムスキーの書いたものを読まずに評論しているとしか思えません。

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田中克彦『チョムスキー』

チョムスキー (岩波現代文庫)チョムスキー (岩波現代文庫)
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田中 克彦

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毀誉褒貶の激しい一冊。言語学におけるチョムスキーの革命的仕事について、その流れとは違う流れに属する言語学者による評価。同じ言語学者とはいえ、内在的批判ではない。また批判の調子がかなり強いところもある。チョムスキー信者からすればかなり反発を覚えるだろう。言語学とは関係ない自分でも、言いがかりに近かったり、強引と覚えるところに出会った。特に後半のチョムスキーの政治的発言に絡むあたりは。

現実に現れた言語ではなくて、その言語を生み出す能力としての深層構造を探求するチョムスキーは、著者からすれば言語の社会性をまったく考慮に入れていない。言語の社会性の代わりに持ち出されるのが、言語能力は生物学的に生得であるという見解である。チョムスキーはアメリカの言語学の流れにおいて、心mindを徹底的に排除した行動主義に対して、心的なものを堂々とひっさげて登場した(p.42f)。とはいえ、それは歴史的・社会的なものを伴っていない。結果としては「観念論と自然科学の素朴な折衷でしかない」(p.190)と評される。

このように歴史的・社会的なものに元来関心を示さないチョムスキーだが、自分の見解の権威づけとしてデカルトやフンボルトといった言語学上の古典を引く。だがそれは本当に権威付けであって、そもそもチョムスキーはその見解の社会的背景や動機を把握しようしていない(p.98)。チョムスキーの古典の読みがいかに一面的かを、別の読みを提示しして相対化するところは、著者の力量が現れたところと言えるだろう。

いくつかの批判については素人目にもちょっと疑問を抱く。ソシュールとチョムスキーにおける言語の社会性についての比較(p.176ff)は、この両者で「言語」が意味するものがまったく違うので奇妙である。ソシュールでは曲がりなりにも現実に話される言語から抽出されたものであるのに対し、チョムスキーはそうではないのだから。とはいえ、以下の二つの論点は専門家の評価を聞いてみたいものだ。(1)深層構造という考え方は、表現としての言語の背後に、事態そのものを認めることによって成立する。深層構造は、世界の事態そのものの構造に対応すると考えられる。だが、事態の構造は言語を通して、言語による概念の理解を通してのみ接近できる。ここには弁証法的関係がある。そして言語による概念はそれぞれの言語によって異なるから、深層構造の決定には結局、言語が関与する。日本語から見た深層構造と、英語から見た深層構造は異なる。それでも英語から見たものを深層構造とし、その普遍性を主張するならそれは帝国主義だ。(p.163f)(2)漢文(古代中国語)は品詞という考えがない。ある文字が名詞、動詞、形容詞と変転する。意味論が先行し、意味が決定されて初めて、構文論が可能となる。漢文からは純粋な構文論的構造を取り出すことができない。(p.195f)

さて、著者はチョムスキーの普遍性への強い執念に関心を抱く。言語学者と言えば、一般性・普遍性への関心ももつが、むしろ名も無き小さな言語の細部の探求に喜びを覚える(p.44)のだから、チョムスキー一派のこの執念は異様である。著者は結局、ユダヤ思想にそれを求める(p.244)。

だが私にはこれは典型的なアメリカ思想だと思える。アメリカは歴史の厚みがないし、アメリカの知識人はどことなくいつもそれを後ろめたく思っているようだ。だから、歴史以外に根拠となるもの--つまり自然科学--に依拠する。そして特に、従来は人文科学で歴史の重みが大きい分野で自然科学が適用可能になると、大手をふって現れる。あたかも自然科学によって従来のアプローチが全部水泡に帰したかのように述べる。それでも足りないと、適当に古典を引っ張ってきて権威付けをするのである。こういったことは多くの分野で起こった。哲学であれ、心理学であれ。最近では特に脳科学が酷い。そういった背景を理解しない日本では、非常にお気楽な見解がときに見られる(例えば、酒井邦嘉『言語の脳科学』を見よ。あまりに単純なチョムスキー像に椅子から落ちそうになる)。

たしかにとても一面的な本である。だが、思想の出現した背景や動機を理解せず、ただ思想をありがたく受容するようなチョムスキー信奉に対する著者の嫌悪は、とても共感を覚える。そういう意気込みこそ、人文学者の本懐とも言えるだろう。
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[C23] 更に

デカルトやフンボルトについてもチョムスキーの方が良く勉強しています。3000年前のpaniniまで読んでいる人です。
  • 2016-05-19 13:33
  • のほほ
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[C18] Re: 違います

少し調べてみましたが、確かにご指摘の通りですね。ありがとうございます。
  • 2013-09-13 17:23
  • ex-phenomenologist
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[C17] 違います

>現実に現れた言語ではなくて、その言語を生み出す能力としての深層構造を探求する

典型的な誤解です。深層構造は「言語を生み出す能力」ではありません。
  • 2013-09-12 10:21
  • ひなの侍
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[C7] どうですかねぇ

田中克彦は、深層構造の理解すらおぼつかない人です。間違いだらけの本ですから、チョムスキアンではない言語学者の私でもそれには気がつきます。深層構造は全言語に不変なものではないし、思ったことでもありません。田中克彦はまったくチョムスキーの書いたものを読まずに評論しているとしか思えません。

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