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ナシーム・タレブ『まぐれ』

まぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのかまぐれ―投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか
(2008/02/01)
ナシーム・ニコラス・タレブ

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さすが評判の高い本。そうとうに面白い。人間はよく単なる偶然であるものに、何らかの相関関係や因果関係を設定してしまう。またあるいは、確率的には低いのに目先のリターンだけに惑わされたりする。つまり、原題のように「偶然にだまされる fooled by randomness」。主に自身のトレーダーとしての経験と、カーネマンなどの行動経済学の文献から、偶然に対する人間の様々なこっけいな振る舞いを描く。

例えば、ちまたに溢れる「お金持ちはこうしている!」系の本への揶揄(p.174f)はとても共感できる。同じ素質を持っていて、失敗した人は大勢いる。ただそういう人たちは我々の視界に入らないだけだ。成功した人たちだけを見てそこに共通する資質を探り当てるのは、「生存バイアス」である。

また特に金融業界のトレーダーやアナリスト、そしてマスコミへの痛切な皮肉と批判は面白い。著者は必ずしも収益を上げられるトレーダーがすべて運によるものだと言っているわけではない。だが母集団が大きければ、偶然で儲けを出す人もいるのも確か。そういう人は、それが自分のやり方の正当性を示すものと受け取ってしまう。かくして、市場が変化したときにそれまでのポジションに固執したトレーダーは大損を出す(吹き飛ぶ)。

「人は自分が成功した場合運の要素を認めないけれど、失敗した場合全部運のせいにする。」(p.194)まさにこの言葉通り。そしてアナリストやストラテジスト、またマスコミはそんな偶然の結果を何らかの理論的な結果として持ち上げる。これだけ理論とデータがあれば、説明の筋くらいは見つかるものだ。かくして著者によれば投資銀行や証券会社の「チーフ・ストラテジスト」と呼ばれる人たちは、経済事象を数字や理論を挙げてもっともらしく説明してみせる「芸人」なのであって、「連中の仕事は芸をお見せして人を楽しませることだ」(p.133)。

この辺りの話題は、実際の著者の同僚だったトレーダーたちの話を交え、そうとうに面白い。またそれだけではなく、統計に関する思い違いを指摘するところも、なかなかに参考になる。例えば、平均値と中央値を取り違えることへの注意(p.137f)とか、確率ではなくて期待値を考えることの重要さ(p.131)など。

ただ本書はエッセイであって理論的な本ではない。どうやら自分の専門外のことはちょっと考えが薄いような印象を受ける。哲学の分野についても様々と述べられているが、疑問を感じるところも多々あった。メモとして記しておく。

・サイエンス・ウォーズを持ち出して「文系インテリ」をコケにするところはどうもフェアではない。特にその始祖としてヘーゲルを持ち出す(p.100)のはどうなのか。だったらニュートンのプリンキピアを始めとして、科学者と分類される人たちの著作から(今から見れば)荒唐無稽な「科学的見解」などいくらでも取り出せると思うのだが。

・ライプニッツが物事の連続性を信じていた(p.125)という話は、何を指しているのか分からないが納得しがたい。ニュートンだと絶対時空があって物事はその内部にあるのだが、ライプニッツの場合はそうではない。少なくとも時空という「物事」が連続的でなければならないことは確か。

・どうやら著者はポパーが好きらしい。反証主義には有名な批判が多くあって、科学哲学においてともかく主流とは言えないと思うが。著者は自分は素朴なポペリアンだと言って批判を封じている。あらゆる科学的方法に対して徹底して懐疑的だったのはポパーだけだと持ち上げるが(p.285)、それを言うならファイヤーアーベントなのでは。

・古典的経済学が規範的科学であるという話(p.232)には納得がいかない。確かに効率的市場仮説や合理的判断主体といった前提を古典的経済学は持つ。それは実際に人間がどうあるかより、どうあるべきかを示す規範科学であると。経済学は実証科学ではない。逆に、物理学は実証科学であると。だが、待ってほしい。物理学だって広がりを持たない質点などの、実際にはそうなっていない概念を持つ。かといって物理学は物事はこうあるべきだ、という規範的主張をしているわけではない。経済学は単にそうした前提を持っているだけであって、それ自体が規範的学問ではない。同じように、倫理はかくあるべきだという主張を持たずに、そのような倫理体系についての倫理学を展開することは可能だ。規範的体系についての基礎的学問と、主張を伴った規範的学問は異なる(そして実際に規範的に行動する術を示す技術学も--フッサールの『プロレゴメナ』を見よ)。
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