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ルートヴィヒ・フォイエルバッハ『キリスト教の本質(上)』

キリスト教の本質 (上) (岩波文庫)キリスト教の本質 (上) (岩波文庫)
(1965/01)
フォイエルバッハ

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フォイエルバッハによる、キリスト教批判の本。ここで展開されるのは、キリスト教の人間学だ。神とは何かと問うのではなく、神を求める人間は何をしているのか、なぜ人間は神を求めるのかという問いである。その論点は、次に簡潔に言い表されるだろう。

「神とは、人間の人格的な本質が、世界とのあらゆる連関の外部に措定され、自然に対するあらゆる依存性から解放されるもの以外の何物でもない」(p.218)

あるいは、「宗教とはさめた意識が見る夢である」(p.290)とまで言い切る。この世界に生きる個々の人間は様々な制限に出会う。神とはその制限を廃し、無制限となった人間そのものである。このテーゼをルター、アウグスティヌスなど膨大な文献から引き出してくる。

確かにこれはキリスト教の批判である。しかし、批判の矛先はどこへ向けられているのだろう。フォイエルバッハは、「だからキリスト教は廃棄されるべきである」と述べるのだろうか。本書からニーチェの奴隷道徳論まではかなり近い。だが一方で、このようなキリスト教の本質を忘れ、ただ単に神を求める、現代の空疎なキリスト教をこそ批判しているようにも見える。この観点からはフォイエルバッハは新たなルターである。
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