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伊東光晴『ケインズ』

ケインズ―“新しい経済学”の誕生 (岩波新書)ケインズ―“新しい経済学”の誕生 (岩波新書)
(1962/04)
伊東 光晴

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新書にしてはやや踏み込んでいるところもあって、多少難しい。しかしバランスを取ってよく書けている本だろう。初期のケインズを描いて、彼を根本的に動かす思想的背景、思想的動機を始めに描いているのがいい。資本家、企業家、労働者という三つの階級を置き、非活動階級(資本家)/活動階級(企業家・労働者)という対立軸を設定したのが、ケインズにとって根本的なことであった。

人間の能力と知性に高い信頼を置くケインズ(p.31)。したがって、彼の批判は能力も知性もないのに、親の財産で豊かに暮らす投資家、金利生活層へと向かう(p.61)。『一般理論』の主題の一つであった1930年代のイギリス不況の原因解明も、これを背景として支える。彼によれば不況の原因は、古典派が言うような労働賃金の高止まりではなくて、投資家階級が投資をせずに貨幣を保持し続ける「貨幣愛」にある。企業家と労働者の対立ではなくて、活動階級と非活動階級の対立が原因である(p.147)。投資家の投資しない貨幣の価値を減ずるという点では、デフレよりインフレの方がましだとまで述べる(p.155)。

逆に言えばケインズによれば、労働者として貧しいのはその人の能力・知性からして当然なのである。知性のあるものが豊かであるべきだ。したがって逆に、知性のないものは貧しくて当然である。20世紀前半の知識人にはこれはよくある発想でもある。

全体的には淡泊な筆致でもあり、ケインズ本人の激しい気性はあまり触れられない。ケインズが同時代に巻き起こした強い批判の渦と、彼以下の世代に及ぼした崇拝の渦、などその熱狂はあまり知られない。他の流派からの批判も少ないが、それは分量的には正当なものだ。『一般理論』の問題点は簡潔にまとめられている。

ケインズが見落としたのは著者によれば以下だ。(1)産業部門間の不均衡を見ていない。後進国の経済問題などはこれに起因することが多く、そういった問題の分析には無力である。(2)独占、不完全競争の問題を扱っていない。(3)最大の欠点は資本蓄積を考えないことにある。投資は有効需要を作り出すが、同時に資本蓄積となって生産量を増やす。ケインズはこの資本設備の増加を考えていない。投資が資本蓄積となり資本量と生産能力が増せば、有効需要が増えない限り物価の下落、利潤率の低下を招く。この問題には二つの対処がある。(a)需要を増すが生産性を増さないような無駄な投資をする。(b)生産能力の増加に見合う需要を作り出す。後者はたえず投資をして需要を増やさなければ、つまり成長し続けなければ不況に陥ることを意味する。(p.172f)

金の偶然的な総量に縛られてしまう金本位制ではなく、人間が知性によって通貨を管理する、管理通貨制へ。何もせず需給バランスが落ち着くのを待つ自由放任主義から、政府が支出をして積極的に需要を生み出す政策へ。これが人間の知性への信頼というポイントに支えられているという説明には妙に納得がいった。いま、ケインズ主義への批判のポイントも納得がいく。もはや我々は、そんな知性など信頼してはいないのだ。哲学ではこれはお馴染みのテーマだ。アウシュビッツ以後、知性への純粋な信頼は消えたのだ。
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