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鈴木大拙『東洋的な見方』

新編 東洋的な見方 (岩波文庫)新編 東洋的な見方 (岩波文庫)
(1997/04)
鈴木 大拙

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鈴木大拙晩年のエッセイを集めたもの。なんと90歳代のときのものだ。明治期に生まれ、戦前・戦後と西洋と東洋を行ったり来たりした著者が、西洋化の流れの中で東洋的なものの価値を探る。その要点は、本の題名にもなっている論説の一説が明かすとおりだ。
物の見方、考え方に、東西の区別を立てることが、可能である。西洋的なるものは、神が「光りあれ」といった以来の世界、光と闇の二つに分かれた世界から出発する。数の世界がいつも目の前にちらつく。東洋的なるものは、「光りあれ」とも何とも、まだ何らの音沙汰の出てこないところに、最大の関心を持つ。(p.26)

「一二三四五」と分割したり切断したり限定したりして、ついには殺してしまうような世界だけに生きていては、人間の全貌はわからぬ。したがって人間らしい生涯は営まれない。どうしても、一たびは円融自在、事事無礙の世界を一瞥しなくてはならぬ。ここに東洋的具眼の人々が、声を高くして、全世界にその使命を伝えなければならぬ。(p.27)


確かに西洋的な合理性は重んじられるべきだ。著者は、感傷性に引きづられ、ときに合理的でない日本の傾向を批判する。縁故の重視であったり、思想性のない感傷的な復古主義であったり。「安っぽい感傷性の東洋的なるものにいたっては、大いに排斥するべきだ」(p.156)。

だが合理性だけで人間は済むのではない。東洋的なものに潜む幽玄なるものによってバランスを取ることが肝要なのである。著者は「妙」という言葉に注目し、これを語っている(p.163)。wonderful, mysterious, subtleなどと訳してみるが、とても訳せるものではないと語る(p.100)。自分には今ひとつピンとこない概念だ。

その他、目に止まったポイントを断片的に書いておく。

自由とは何ものにも妨げられず、その本来の姿を表すこと。だからこれは必然性でもある。freedomやlibertyとは意味が違う(p.67)。「自然(じねん)」という概念もまたこの自由に通じている。

聖徳太子の十七条憲法の「以和為貴」の「和」はやわらぎであって、わではない。恩厚・柔和であって、調和ではない。(p.233)

東洋「哲学」は生活に立脚する。西洋哲学のように分別の上に建てられた御殿ではない(p.33)。人間生活の具体性から遊離したものは、東洋哲学では価値がない(p.179)。

「禅とは、人間の心の底にある、無限の創造性に徹して、これに順応して動作することである。」(p.199)
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