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竹内洋『教養主義の没落』

教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)教養主義の没落―変わりゆくエリート学生文化 (中公新書)
(2003/07)
竹内 洋

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明治期から1970年代まで、教養主義が誕生し隆盛を迎え、やがて勢いを失っていく過程を描く。教養主義とは「哲学・歴史・文学など人部系の読書を中心にした人格の完成を目指す態度」(p.40)のことだ。主に人文社会系の教養知識を身につけることにより、人格ひいては社会の陶冶と変革を目指す。教養知識あるものが力を持つ、という知識による権威体制でもある。

教養主義というと個人的に印象的なことがある。ある日本政治思想系の研究者で、丸山真男の系譜にある教授と話す機会があった。「先生の学生なら、丸山真男くらいほとんど読んでいるのでしょう」と聞いた私に、その教授は寂しそうにポツリと「そんな教養主義は死んだよ」とつぶやいた。本書は、そんな教養主義へのレクイエム(p.26)である。

著述の特徴としては、歴史的順序に従って書かれた本ではない。教養主義をめぐって焦点をいくつか変えながら、戦前の大正~昭和初期の教養主義と、戦後~学生紛争までの教養主義を取り混ぜて描いていく。これは一見すると分かりにくいが、「教養主義が戦前と戦後で連続していること、それ以上に戦後日本でこそ、教養主義は大衆化した」(p.247f)という著者の考えに基づくものだ。

この著者の他の著作でもそうだが、ある時代的潮流を描くとき、特定の人物を取り上げてその人物に託して描く、その描き方がうまい。マルクス主義的教養主義の担い手としての黒井千次と、それを打ち壊す石原慎太郎。農村的教養主義の帝大文学士の小川三四郎(小説『三四郎』の主人公)と、都市的教養主義のエコール・ノルマルのピエール・ブルデュー。民間アカデミズムたる岩波茂雄の岩波書店と、より庶民文化に焦点を合わせた野間清治の講談社。学生紛争の標的となった教養主義の象徴としての丸山真男と、もっと民衆的知識を持った象徴としての吉本隆明。そして意外だったのは、それら丸山真男/吉本隆明の知性そのものを相対化する視点としてのビートたけし。

教養主義は教養知に基づく権威体制である。これは大正時代に始まる。1930年代にはこの大正教養主義に対抗する形でマルクス主義が学生の間で流行する(左傾学生)。だがそれは政治的動機に基づくというよりは、新しいものへの純粋な知識欲によっていた。つまり読書人的教養主義的である(p.52)。先人の教養の前に跪くことを求める教養主義に対して、マルクス主義はそれをブルジョア的として逆転させる力を持っていた。だがこのマルクス主義も読書人的であるかぎり、「新しい教養」であって教養主義の内部抗争にすぎない。(p.55)
こうした教養主義は実は、庶民の修養主義を基にしている。修養主義は都市ではなく、地方の武士や農民に根づいていたもので、努力や修練を重視するものだ。こうした修養主義に支えられた教養主義は成熟した都市中流階層の文化ではなく、田舎式ハイカラ文化なのである(p.172)。このことは、フランスのエコール・ノルマルと比較すると明らかになる。帝大文学部は地方農村出身者が多く、教養主義の殿堂であっても敷居の高いものではなかった。フランスのエコール・ノルマルはこれと異なり、地方の貧困層にはよそよそしい、都市の文化貴族の生産工場である(p.117)。日本の教養主義はブルジョワ階級の教養=ハイカルチャーと結びついたものではなく、その模造やまがい物である。

そして、日本の教養主義のこの田舎臭さ、都会風を気取ったところ。この日本の教養文化のこの貧しさを暴いたのが、みずからも都市ブルジョア文化の中に育った石原慎太郎だと位置づけられる(p.127ff)。石原慎太郎の小説は「すべての知的なものに対する侮蔑」(三島由紀夫)であり、知性の内乱である(p.81)。

こうした教養主義を支えていたのは庶民の修養主義だが、本書は岩波書店という文化装置に照準をあわせている。この描き方がうまい。岩波茂雄は東京帝大文科大学の出身だが、本科卒業ではない。いったん中退した後、専科に入り修了している。つまり学歴貴族という社会関係資本を活かして仕事をしつつも、その世界の周縁の人間でもある。この境界人のポジションが、岩波と執筆者の間に、仲間でありながら距離があるということを可能にした(p.148)。こうしたポジションを持った岩波書店は、純粋文化界(アカデミズム)でもなく、マス文化界(ジャーナリズム)でもない、中間領域である民間アカデミズムの地位を得る。そして官学アカデミズムと岩波の民間アカデミズムが相互に正統性を保証しあうサイクルができたのだと著者は言う(p.159f)。

さてこうした教養主義はやがて凋落を迎える。著者によればそれには三つの要因がある。(1)大学生の増加、企業による大学新卒の大量採用による、大学生のサラリーマン予備軍化。(2)教養知から経営技術知への展開。(3)農村の衰退による、教養主義を支えていた刻苦勉励的エートスの崩壊、インテリの教養主義を支えた庶民の修養主義というインフラの崩壊(p.208-219)。なかでも経営技術知への着目は面白い。教養知を無用化したビジネス社会の変化としての、経営技術知という視点。日本が後進国から先進国へと移行すると、近代化論と結びついていた革新思想は社会を変える力を失ったのだ(p.215f)。

だがやはり教養主義に決定的な打撃を与えたのは、学生紛争だろう。著者はこう分析する。大学紛争世代の親は、初めて大卒の学歴を持った世代である。彼らの親、昔の大学生はエリートの証であり、教養文化の担い手だった。だが大学進学率が高まって大学生が増えるに連れ、大学生はただの人やただのサラリーマン予備軍になった。大学紛争は、自分たちがエリートではなくただのサラリーマン予備軍であるということの不安と、エリートにはなれない憤怒に原因がある(p.208)。つまり、
大学紛争後の大学生たちはこう悟った。学歴エリート文化である特権的教養主義は知識人と大学教授の自己維持や自己拡張にのせられるだけのこと、大衆的サラリーマンが未来であるわれわれが収益を見込んで投資する文化資本ではない、と。
[...]マス高等教育の中の大学生にとっていまや教養主義は、その【エリートのノン・エリートに対する】差異化機能だけが透けてみえてくる。あるいは、教養の多寡によって優劣がもたらされる教養の象徴的暴力機能が露呈してくる。いや大衆的サラリーマンが未来であるかれらにとって、教養の差異化機能や象徴的暴力さえ空々しいものになってしまった。(p.214)

こうした空々しさを見通し、教養主義による権威を笑い飛ばし破壊する。ここにビートたけしが位置づけられている。石原慎太郎の知性の叛乱、教養主義への反乱を最終的に完成したのがビートたけしである。彼は教養主義者たちを笑い飛ばし、知識人を殺した才に富んだガキ大将であるとされている(p.229f)。

かくして現在に残った教養の形とは何か。それは人を威圧するような権威的な教養ではない。もっと軽い教養であり、著者はこれをカタカナで「キョウヨウ」と書く。むしろ、学生用語でいう「パンキョー」(一般教養のこと)だ。こうしたキョウヨウは著者によれば、軋轢を避け、他人や世間と円滑にやっていこうとするものであり、「教養主義が大衆文化との差異化主義であるとすれば、キョウヨウ主義は大衆文化への同化主義である。」(p.239f)


いずれにせよ遅れて生まれてきたプチ教養主義者であり、「教養俗物」(ニーチェ)たる自分にはいろいろと思わされることの多い本だ。1960年頃の大学は建前としてであれ、学生の間で教養主義(マルクス主義的教養主義・教養主義的マルクス主義)が支配的地位を占めていて、プチ教養主義者がキャンパスで浮くことはなかった(p.10f)と著者は書く。自分には異世界の話のように思える。大学2年の頃、量子力学の授業の教授がなかなか来ないのでギリシャ語の予習をやっていた私に向けられた、周囲の奇異の眼をとてもよく覚えている。そうしたプチ教養主義者は、私の時代にはキャンパスで完全に浮いていた。
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