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田中一之編『ゲーデルと20世紀の論理学 (1)ゲーデルの20世紀』

ゲーデルと20世紀の論理学(ロジック)〈1〉ゲーデルの20世紀ゲーデルと20世紀の論理学(ロジック)〈1〉ゲーデルの20世紀
(2006/07)
田中 一之

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再読。目的は、ゲーデルの不完全性定理と機械論・反機械論の関わりを論じた第二章「ゲーデルと哲学」の論点を確認するため。ゲーデルの不完全性定理が教えるのは「人間の心に備わる構造と能力とは、これまで想像されたどんな機械にも及びつかないほど複雑かつ精妙だということ」(Nagel and Newman)という俗説があるが、これは「ゲーデルが証明した事柄についての誤解と、論証上の初歩的な誤謬の産物でしかない」(p.137)。にも関わらず、ルーカス、ペンローズ、柄谷・・とこれらの誤解は続く。きちんと論点を押さえておきたい。

パトナム「心と機械」(1960)の議論は以下のように再構成できる。私の心が機械だとしよう。といっても漠然としているので、私が証明できる命題と同じだけの命題を証明できるテューリング機械TMがあったと仮定する。誤解する人はこう言う。ゲーデルの定理によれば、TMでは証明できない命題Uを私は構成できる。そして、私はこのUを証明できる。だから、証明可能な命題の集合は、私とTMで同じではない。よって、私はいかなるテューリング機械でもない。

だがゲーデルの定理(第一不完全性定理)から言えるのは次のことに過ぎない。
(1)TMが無矛盾なら、TMはUの真偽を決定できない。
(2)私は「もしTMが無矛盾なら、Uは真である」(*)を証明できる。
ここで、実はTMでも(*)は証明可能だ。TMが無矛盾だとして、TMはUの真偽を決定できないが、自分が無矛盾ならUは真であることは証明できる。私がTMでないためには、TMの無矛盾性を証明できなければならない。で、TMの無矛盾性を証明する見込みは、それが少なくとも私と同じような複雑性を持つなら、とてもありそうにない望みである。誤解する人は(*)の前件を無視しているのだ。

ところでゲーデル自身、実はこうした機械論に関する議論をギブズ講演(1951)で行っている。だがそこの論点は、上のような単純なものではない。ゲーデルの結論は次の条件文で表される(p.146)。
「もしもK(我々が知りうる数学的真理の文全体)が何らかのテューリング機械と同等であるならば、絶対に解決不可能な問題が存在する。」
単純のため話を一階ペアノ算術に限る。Kが何らかのテューリング機械と同等ならば、再帰的に枚挙可能recursively enumerableである。第一不完全性定理から一階ペアノ算術の真なる文全体Tは再帰的に枚挙可能でないので、Kに含まれない文Aがある。ここで¬AもKに含まれない。なぜなら、もしそうならAも¬AもTに含まれ、Tが矛盾するからだ。よって、解決不可能な問題Aがある。
対偶を採って考えれば、絶対に解決不可能な数学的問題などない、と主張するならば、Kは何らかのテューリング機械と同等だということになる。ゲーデルはそう信じていたようだが、これは信念の問題であって、議論ではない。
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