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畑中幸子『リトアニア』

リトアニア―小国はいかに生き抜いたか (NHKブックス)リトアニア―小国はいかに生き抜いたか (NHKブックス)
(1996/08)
畑中 幸子

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特にリトアニアに興味があるわけではないが、何となく手にとって読んだ。バルト3国に含まれる小国リトアニアについて、知っていることは少ない。リトアニア出身者で名前を知っているのはゴドフスキー、ハイフェッツ、ミンコフスキー、レヴィナス。関わりがある有名な日本人なら杉原千畝。

この本は第一次世界大戦後に成立したリトアニア共和国と、ナチスドイツ、ソヴィエトによるその崩壊を主題とする。特に著者が言うように、ソヴィエトに対するパルチザンたちのリヴィング・メモリーを記録するために書かれている(p.3f)。1940年頃を中心としてソヴィエトに対抗したリトアニアのパルチザンたちは、ソヴィエト共産党やKGBによる徹底的な弾圧を受けた。筆舌に尽くしがたい拷問ののち虐殺、あるいはシベリア流刑。その長い弾圧のなかでパルチザンでない人たちにも、パルチザンそのものについて語ることができなくなった。かくして、「不思議なことに、現代リトアニアの歴史家たちが一人としてレジスタンスに触れていない」(p.209)。著者は祖国の人たちにさえ無視され続けるリトアニアの元パルチザンたちの声を拾っていく。

さすがに文化人類学者とみえ、フィールドワークはお手の物。農民から共和国時代の閣僚たち、インテリたち、そしてパルチザンまで、様々な人の声を拾っている。こうした人達に接触して記憶を語ってもらうには、かなりの困難があったろう。それはあまり語られてはいない。

なんといってもソヴィエト時代の弾圧については、言葉を絶する。リトアニアは、ウクライナ、ラトヴィア、エストニアとともにソ連による国民の計画的絶滅政策の被害をうけることになった(p.71)。「リトアニア人なしのリトアニアが現れるだろう」とまで言われた。その規模はとてつもないものだ。1946-1952年の間、ソ連による全追放者の6分の1がリトアニア人だった。期間の長短はあるが、シベリア追放、強制労働でラーゲルへ移送された人数は30万人を超える(p.87f)。これは単に第二次世界大戦後すぐの話ではない。たしかにスターリンが死去し、フルシチョフ時代になってやや弾圧はやわらいだ。だが例えば、リトアニアでさかんなカトリックについて言えば、1940年から1991年まで宗教活動を取り締まる機関があり、この間に大司教・司教の殆どは虐殺されるかシベリア流刑となっている(p.14)。

終わりの方では1991年のリトアニア独立の話も聞かれる。「ヨーロッパの中で最も古い民族のひとつと言える」(p.26)リトアニアだが、ヴィタウタス大公以来、リトアニアはポーランド、ロシアなどの大国に翻弄され、リトアニア人自身が主権を確立することはなかった。そのためか、独立後も民族として団結して政治を行うことがなく、離合集散が繰り返されている(p.198)。

KGBを始めとするソヴィエトの弾圧がいかなるものだったか、特に詳細を極めて書かれているわけではない。だがその様子は十分に伝わる。
ソ連時代、一般市民は怖くてKGB本部の建物の100メートル手前までしか近づけなかった。ランズベルギスからブラザウスカスへ政権交替後、KGB活動調査委員会は閉鎖された。その前に私はKGB活動の一部をドキュメントで見ることができたのは幸いであった。しかし、「人間」という動物がどこまで残酷になりうるのか、その答えを見せつけられ、いたたまれない気持ちになる。薄暗い陰惨な空気に押されるようにして建物の外へ出ると、紺碧の空に太陽が眩しく輝いていた。地の底から戻れたような気分で安堵した。(p.133f)
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