Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/377-a9da9e57

トラックバック

石田瑞麿『教行信証入門』

教行信証入門 (講談社学術文庫)教行信証入門 (講談社学術文庫)
(1989/11/06)
石田 瑞麿

商品詳細を見る


親鸞の主著である『教行信証』、すなわち『顕浄土真実教行証文類』について書かれた本。当の『教行信証』は古今の文献を縦横無尽に引用し、それに対する親鸞の読解という形で自身の思想が展開されている。本書はそれら親鸞の読解の中から、特徴的なものを抜粋して編まれたもの。教、行、信、証、真仏土、化身土の章に分かれているが、原著の分量に類比したものではない。例えば『教行信証』で全体の三分の一を占める化身土の巻の扱いはわずか。

親鸞の読解部分しか提示されていないのだが、それでもその論述の様には驚いた。漢文の原文を通常とは違うように読み下して、自身の思想を展開している。回向は我々の成すものではなく、阿弥陀仏のすることだという読み替えは、まさにこの読み下しの変更により行われている(p.76-79, 178f)。あるいは、語の釈義に立ち入って意味を読み替えていく(p.101)。古典を読み解きながら、実は通常の読解とは別のことを語らせていくこの手法は、ハイデガーやドゥルーズを思い起こされる。なんだか既知感に襲われた。

そしてそうした読解の変更を明らかにしていく著者の力量にも圧倒された。それは、序-1に挙げられた原文の読解からして現れている。ここで親鸞(を読解した著者によれば)、浄土の教えは単に釈迦によって説かれたものではなく、それは阿弥陀仏自身が釈尊を動かして示された救いのはたらきなのである(p.52,60)。ここの解説だけでも非常に面白い。論理の展開に知的興奮を覚える。

他には、念仏者は阿弥陀仏の回向のはたらきにより、この世にいる間に新たな境界に入り、もとに戻ることはない(「不退の位に至る」)という考えが目を引いた。親鸞の第十一願に対する理解は、この世にいる間に正定聚の位、すなわち浄土で仏になることを約束される位につくことができる、という独特な理解となっている(p.106)。すなわち通常、第十一願はすでに往生して浄土に生まれたものは正定聚の位について、いつかは必ず仏の悟りを得るというものだが、親鸞はそれを現生でのことに読み替えている(p.241f)。即身成仏を連想する。

『歎異抄』のほうが読みやすく刺激的なのでよく取り上げられるが、『歎異抄』は二次資料。親鸞の特異な思想だけでなく、古典からそれを引き出してくる強烈な論理力がうかがえるこの本のほうが面白いかもしれない。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/377-a9da9e57

トラックバック

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。