Entries

バーバラ・ミント『考える技術・書く技術』

考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則
(1999/03)
バーバラ ミント、グロービスマネジメントインスティテュート 他

商品詳細を見る


いい本だとは思うが、玉石混淆。マッキンゼーのコンサルタントが書いた、論理的思考と論理的な文章の書き方についての本で、なかばバイブルとして扱われている。だが、どうだろう。自分には、どうやら論理学を知らない人が自己流で書いた本のようだ、という印象を受けた。

先に書いておくと、第二部「考える技術」は極めて素晴らしい。内容が高度で著者自身、難しいと述べているが、飲み込めれば役に立つポイントが満載だ。特に「白紙の主張を避ける」というポイント(p.134ff)は目を引いた。文章を書くとき、箇条書きを使って事足れりとすることがよくある。「問題は以下の三つである・・・」等々。だがこれはよくない。なぜその三つを取り上げるのか、それを取り上げてどうするのかが不明だ。常に次の行動につながるように記さなければならない。そうしないと、読み手に多くの負担を与えることになる。

第三部「問題解決の技術」もいい記述だと思うが、診断フレームワーク、ロジックツリーといった手法の用い方としては別の本を見たほうがよいかと思う。

問題は第一部である。特に第五章「演繹法と帰納法はどう違うのか?」に代表される、演繹と帰納についての著者の考えは、自分には理解不能だった。まず先に、訳者はreasoningを「理由づけ」と訳しているが、それはまずいのではないか。reasoningは普通、「推論」と訳される。ある文から別の文へと論理的に移行することを言う。理由づけとはすでに与えられた文について、その根拠を提示することであって、むしろそれは証明探索proof searchのことだ。方向が真逆である。大学で論理学を学ぶ人を「風変わりな方」(p.287)と評し、かのアメリカの論理哲学者Peirceを「ピアス」(p.272)と記す訳者は、あまり論理学には明るくないようだ。


以下は大学で論理学を学んだ風変わりな人間による、風変わりなコメントである。

まず、著者が演繹と帰納について端的に記している箇所(p.135)を引用しよう。
・最初の考えについて意見を述べる(演繹法)
・最初の考えと似た他の考えを探す(帰納法)

論理学を学んだ人間には、この引用だけでだいたい雰囲気は分かるだろう。演繹とは決して、ある文に対して意見を述べたり、コメントすることではない。また、著者は演繹といえば三段論法の形で表現される(p.83)と述べている。著者の演繹についての理解が約2300年昔のアリストテレスのレベルなのか、はたまたヒルベルトスタイルこそ演繹体系だと考えているのかは分からない。また、三段論法は二つの前提を持つ(p.83)ときちんと把握していながら、「演繹法は1本のロジックラインで展開」(p.81)するというのもよく分からない。三段論法の証明図は二本の枝になる。

次の引用(p.86)はどうだろう。これも自分にはまったく謎だ。
よく、「演繹法のほうが帰納法よりも強い理由づけなのでは?」という質問を受けます。そんなことはまったくありません。理由づけという性格自体は同じです。単に並べ方が異なっているだけなのです。

推論の力について100歩譲ったとしても、並べ方が違うだけであればそれは文体(style)の問題であり、論理(logic)の問題ではない。フレーゲはまさに、述べ方や並べ方にも関わらず一定に保たれる文の内容をこそ、論理が扱うものとして取り出したのだった。本書はところどころ、文体と論理が不分明な箇所がある。

帰納法についてはこう述べられている(p.91)。
帰納的理由づけでは、いくつかの異なるもの(考え、出来事、事実)が何らかの点で似ていることに気づき、それらをひとつのグループにまとめ、その類似点の意味について意見を述べます。

「意見を述べる」というのが相変わらず、何だかよく分からない。推論とは主張する(assert)ものであって、意見を述べるものではない。推論は連想ゲームではない。ともあれ、この述べ方では、同じ前提からそれぞれの結論を導く以下の二つの推論は、両方とも帰納法による推論になってしまうのではないだろうか。
<推論1>
・2は二つの素数(または1)の和である(2=1+1)。
・4は二つの素数(または1)の和である(4=2+2)。
・6は二つの素数(または1)の和である(6=3+2)。
・8は二つの素数(または1)の和である(8=5+3)。
・10は二つの素数(または1)の和である(10=5+5)。
したがって、すべての10以下の偶数は二つの素数(または1)の和である。

<推論2>
・2は二つの素数(または1)の和である(2=1+1)。
・4は二つの素数(または1)の和である(4=2+2)。
・6は二つの素数(または1)の和である(6=3+2)。
・8は二つの素数(または1)の和である(8=5+3)。
・10は二つの素数(または1)の和である(10=5+5)。
したがって、すべての偶数は二つの素数(または1)の和である。



さて演繹と帰納の話は以上としておいて、本書を読んで、むしろこういうことが書かれているべきだと思ったポイントを3つ。
(1) どうでもいいポイントかもしれないが、著者が書いているものはピラミッドというより、ツリーである。
(2) このピラミッドでは、下位レベルの事柄が、なぜ上位レベルの事柄の理由になるのかが記せない。相手の言っていることが分からないのは、理由として考えられているものが分からないという場合と、それがなぜ理由になるのか分からない(相手の推論構造が分からない)という場合がある。著者が挙げている例(p.22)でいえば「豚はペットとして飼われるべきだ」という文の理由として「美しいから」と「バリエーションに富んだ繁殖をするから」の二つが挙げられているが、この二つが理由となるということを理解するのはそんなに簡単だろうか。そして、コミュニケーションの問題はここにある。すなわち、相手がどのような知識をもち、こちらの推論構造をどれだけ理解するかが事前には分からない。著者はそのために導入部でストーリーを語ることの重要性を強調しており、それはまったく正しい。ただ、このピラミッドでは表現できない。そして相手の推論構造が理解できないのは、述べられている文に部分文として現れないものがあるからだ。すなわち、cut formulaを探さなければならないからである。これは著者が退屈なものと評した演繹論理の最大の面白いポイントである。
(3) ピラミッドは二次元であり、文章は一次元である。二次元で考えられたものをいかに一次元に展開するかは、かなり難しい問題だろう。いかにツリーで議論を整理できても、文章化するというステップは別である。第四部では多少それに触れようとしているが、明確なことは書かれていない。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/386-a6fde367

トラックバック

コメント

[C15] Re: タイトルなし

仰るとおり、横書きの本です。「,」と「。」の組み合わせは横書きの本で一般的なのですか。てっきり、欧文由来の「,」は常に「.」と組になり、和文由来の「、」は「。」と組になるものだと長年思っていました。専門の方からご指摘ありがとうございます。
  • 2011-07-28 00:07
  • 坂間 毅 (Sakama Tsuyoshi)
  • URL
  • 編集

[C14]

はじめまして、編集稼業の読者です。こちらはおそらく横書きの本かと思いますが、普通、というのであれば、全角コンマ+句点「。」の組み合わせは一般的です。「公用文作成の要領」(1951)などでもそちらなのです。
  • 2011-07-27 12:13
  • 高橋
  • URL
  • 編集

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する