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森毅『数学の歴史』

数学の歴史 (講談社学術文庫)数学の歴史 (講談社学術文庫)
(1988/09/05)
森 毅

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数学史の本だが、数学そのものはあまり出てこない。時代を飾った数学者と、その歴史的背景の話が中心となる。数式も含め細かい数学的内容は出てこないので、どうも何を言わんとしているのか門外漢にはつかみにくい本だった。読む側の知識とセンスを必要とする本だ。

逆に言えば、多少なりとも知っている事柄については、著者の取っている見取り図や枠の意義などを把握することができる。19世紀以降の数学なら多少とも流れを知っているので、面白い箇所も多かった。例えば19世紀において、自然学、数理物理的傾向が強かったフランスに対して、純粋数学を指向したドイツの流れ(p.150)。

19世紀末の群論の発展に、当時の数学の二つの潮流を代表させている。次のフレーズが目を引く。
ところで、十九世紀末の「群論」というと、ゲッティンゲンのクラインにたいして、ベルリンではフロベニウスが群の行列表現の可能性による群の規制のされ方、すなわち<表現>の理論を構想していた時代でもある。この点では、十九世紀末の「群論」の二つのキャッチ・フレーズのうち、当時では<不変式>がもっぱら脚光を浴び、二十世紀中葉以後では<表現>のほうが脚光を浴びたということについて、単なる「流行」という以上に、数学史の潮流の変化が興味深い。変換群そのものが十分に抽象的な実体として確立していない事情を考えると、変化の中において不変な実体を問題にすることと、変化を規制しうる指標を問題にすること、この二つの発想の交錯にこの潮流の性格を見ることができよう。(p.173)


ポアンカレを典型的な19世紀人とする見方も、クラインと対比させられて目を引く。ポアンカレといえば位相幾何を中心として20世紀の大きな流れを作り出したと考えられるが、著者は「おそらくポアンカレは、十九世紀という時代そのものだった」(p.177)と評し、クラインによって乗り越えられる存在だったと書く。レーニンの「大物理学者で小哲学者」という評が引かれている。
同じく、ヒルベルトも19世紀人として評価されている。確かに数学基礎論を初めヒルベルトは20世紀の数学の潮流の源とされるが、彼が述べたカントールの楽園は19世紀的発想である。ヒルベルトの「求めた「楽園」は挫折した十九世紀の形而上学的光輝であり、そして二十世紀のもたらしたものは、ヒルベルトの意図に反して、<論理の真理からの自立>であった」(p.185f)。

20世紀で大きな役割を果たすアメリカとソビエトについての評価。19世紀的な数学の発想ーー個々の領域に限定された存在物を扱う数学ーーと20世紀の数学の発想ーー統一体として普遍的数学構造を問題にする数学ーーの二大潮流はアメリカで合流する。すなわちクーラン研究所の古典数学と、プリンストン研究所の近代数学(p.206)。ソビエトについてはモスクワ学派から始まる確率過程論が注目されている。それは、純粋数学と応用数学の融合と捉えられ、確率という個別領域における研究(19世紀的古典数学)が微分作用素の固有関数の研究として発展し、数学的構造が抽出される(20世紀的近代数学)ことになった(p.214)。
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