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Raghuram Rajan, "Fault Lines"

Fault Lines: How Hidden Fractures Still Threaten the World EconomyFault Lines: How Hidden Fractures Still Threaten the World Economy
(2011/08/28)
Raghuram G. Rajan

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Financial Timesの2010年度ビジネス書アワードに選ばれた本。必読書と言われるが翻訳はかなり評判が悪いので、ペーパーバック版が出たので原書を読んでみた。論旨はかなり明快だし、英語も癖がなくクリアなのであまり読むには困らない。

サブプライムローン問題から引き起こされた2007年の金融崩壊(p.1)に関わる背景の分析と、問題への対策を綴ったもの。二流の本によく見られるような、単なる金融機関の強欲さに帰着させるようなことはない。「悪いのは奴らで、我々ではない」と言うのではなく、もっと多様な時間的・地理的視点から分析を行なっている。
By putting all the blame on the financial system, we fail to recognize the role played by the fault lines. Excoriating the immorality of bankers has made for good rhetoric and politics throughout history, but it is unlikely to address the fundamental reason why they can cause so much harm.(p.126)

中心となる概念は、本の題名でもあるFault Lines(断層)だ。著者が地質学から取ってきたこの概念はなかなか適切だ。断層は、異なる方向に働く二つの力が衝突するところに生れる。それは通常、地下にあって気づかれないし、歪みを溜まるのも非常にゆっくりだ。そしてある日、断層は突然動き、その上にある構造物に破壊的な衝撃を与える。

著者の分析によれば、2007年の金融崩壊を引き起こした、世界経済の断層は3つある。それらは、(1)国内の不平等を解消するための政治の圧力・ポピュリズム、(2)貿易の不均衡、(3)異なる原理の金融システムの接触である(p.7-13)。著者はこれらの断層を一つ一つ取り上げその由来を分析し、対策を提案していく。

まず、アメリカ国内の(経済的)不平等について。著者は、この不平等の拡大の主な原因は教育の不平等である(p.29)という。教育を原因としてアメリカには経済的不平等が広がり、多くの人の賃金はほとんど上昇しなくなった。したがって本来は教育の改革が不平等の解消になるはずだが、教育改革は結果が出るのが次の世代なので時間がかかる。短期的な対策を求める有権者に押された政治家たちが選んだのが、住宅ローンの拡充だった。これは住宅ローンの拡充が一番簡単で効果的な政策だったからである(p.31)。アメリカは元々セーフティーネットが薄いので、不況になると政府への圧力が大きい(p.98)。こうした「政府がすべての回答を持っていると信じている一般大衆」(p.39)に応えて生まれた、2000年以降の雇用なき景気回復(jobless recovery)への対策が住宅ローンの拡充であり、またFRBの低金利政策だったのである。すなわち、こうした政策は経済対策といより政治上のものであり、次の二つの効果を持った。(1)アメリカが最初の保養地(first resort)として信頼できる景気刺激源となり、他の国が成長戦略を変更するインセンティヴを失った。(2)金融機関にインセンティヴをもたらし、金融危機を招いた(p.86)。(だが、なぜアメリカ国内の不平等が拡大し、それが教育の問題なのかはやや議論が薄いように感じる。)

第二に貿易不均衡の問題がある。これは戦後のドイツと日本の復興から説き起こされる、長い問題である。これらの国は戦後復興するために、輸出に極めて大きな比重を置いた。なぜなら戦後の荒廃した国内市場では需要がなく、急速な復興のためには外需が必要だったからだ(p.10)。ろくな内需の無い中で経済を発展させるには、外国からの投資を呼びこまなければならない。そこで政府は債務に対して暗黙の保証を与えた。かくして外国からの投資資金はリスクにあまり注意せず、貸し過ぎの傾向になった(p.80)。こうしたドイツと日本の輸出依存の経済発展モデルを、韓国や中国、ブラジルなどの新興諸国も踏襲していくことになる。この貿易不均衡はアジア通貨危機の一つの原因となる。ちなみに、政府が債務保証を与えるので、ろくなリスク分析もせず外資が流れこむというこの構造はサブプライムローンそのものである。つまり、"the developing country central banks did to the United States what foreign investors had done to them in their own crises."(p.132)

さて第三の問題は異なる原理の金融システムが並立していることである。それはarm's lengthの取引に基づく金融システムとそうでない統制資本主義だ。arm's length(どうにも訳しようのない単語だ)の取引とは、貸し手が借り手に直接的に関わるのではなく、「腕一本の長さarm's length」を残して関わる取引のこと。かつての日本のメインバンク制のように貸し手が借り手の株式を持ち、財務に関わり、取締役を派遣するなど長期的に関与する取引ではない。arm's lengthの取引は同情や長期的視点を強化しないのだ。基本的には法やルールに委ねるやり方である。例えば不動産証券は売れて手数料が取れればいいのであって、ローンの借り手や証券の買い手のことは考慮しない(p.130)。このような金融システムの世界から、新興国を見るとどうなるか。そこでは金融機関がまだ未熟であり、arm's lengthの取引が発展していないからリスクの算定に大きなコストがかかる。法やルールが整備されておらず、投資の結果がどうなるか容易には分からない。そこで新興国はそのリスクを政府が引き受ける統制資本主義によって外資を呼び込む。政府がリスクを分担してくれるなら、その投資の結果がどうなろうと関心の外であり、投資のリターンがあればよい。こうした発想は強欲さに見えるかもしれない。だが銀行員たちは大衆が描くような強欲の怪物ではない(p.126)。強欲さ、もっと軽く言えば自己関心はarm's lengthの取引で不変なものであり、それだけではバブルもその崩壊ももたらさない。問題は、価格やリスクに無頓着な大規模な投資家と、非常に動機づけられた民間金融機関が組み合わさった所に巨大なリスクがあることだ(p.132)。

さて分析に続いて様々な提言だが、銀の弾丸はない。どんな改革も短期的には損が出るが、それは長期的には利益を生む(p.19,239)。まずアメリカ国内の不平等についてだが、これは政府だけの問題ではない。ポピュリズムと債権拡張の結びつきはアメリカに限らず、どこにでもある。"Populism and credit are familiar bedfellows around the world."(p.43)むしろ問題は政府と市場の関係である。資本主義と民主主義は両立しないものだが、互いの欠点を和らげるので一緒にやってきたのだ(p.18)。しかし、いまでは政府の介入と保証が自由市場をゆがめている(p.161)。ポイントはセーフティーネットの拡充である。これが不況の際の政策の幅を広げる(p.195)。一方、高所得者への課税強化は労働や学習へのインセンティブを減らしてしまう。教育による人的資源のアクセスを強化したほうがよい(p.184)。こうした平等主義を自由競争と両立させるには(1)教育、医療などへのアクセスを改善すること。(2)子供に対する政策には平等主義、大人に対してはより市場志向であることの二点がポイントである(p.232)。また、社会保障の拡充は政府から自立した個人というアメリカの自画像に反するように見えながら、不平等を取り除き、個人の努力が報われる社会を作ることで結局は自画像の達成に寄与することになる(p.201)。

他の断層については難しい。これは個々の国どうしの関係となるからだ。断層はそもそも、グローバル社会ではある社会によいことが他にはそうではないことから生まれている(p.4)。著者がIMFでの勤務の経験から言うのは、G20は役に立たないということである。なぜなら、"Politics is always local: there is no constituency for the global economy."(p.208ff) IMFも同様である。IMFや世界銀行をいくら強化したところで各国に強制力を持つWTOのようにはなれない。解決への一助として出されているのは、各国の財務省にだけ語るのではなく市民やNGOも相手にして、市民に直接語りかけるべきだという案である。温暖化議論での草の根運動が参考にされている。グローバルな民主主義との共働により、改革を図ろうと言う(p.213-217)。

銀行間の競争を制限することには意味が無い。問題はそこには無いからだ。銀行の競争を制限し、人々が資金を借りる機会を制限することは父権主義的で非民主主義的である(p.158)。(この点、著者はあくまでアメリカ的な自由主義に基礎を置いている。フリードマンまで行かないにしても、基本は自己責任が原則である。)問題は過度の競争ではなく、テールリスクの過小評価、値付けのまずさだから(p.159)。金融改革の論点は三つ。(1)金融機関の規模の制限ではなく、市場のリスクがその金融機関に集中しすぎていないかをモニターすること。(2)転換社債や資本保険をレバレッジのない金融機関、相互ファンド、年金、政府機関に持たせてバッファーを厚くすること。(3)当局が金融機関解体の機能を持ち、裁判所よりスピーディーに解体する手段をもつこと。解体計画そのものは、自らの死に方を選ぶリビングウィルとして常に銀行自身に提出させる(p.170-176)。

ここで書き切れない論点、自分が混乱して誤解している論点もたくさんある。極めて広い時間的・地理的視野を持った好著で、確かにこの問題に対する基本書籍と言えるだろう。不十分な翻訳が出ているならば、それはかなり不幸なことだ。
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