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池内了『物理学と神』

物理学と神 (集英社新書)物理学と神 (集英社新書)
(2002/12/17)
池内 了

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物理学において「神」という言葉が使われる文脈を探りながら、物理学の歴史について語る試み。出版社のパンフレットに書かれた連載の単行本化で、気軽なエッセイの乗りで書かれているようだ。そのため、学問的にはかっちりした印象を受けない。

自分にはちょっとポイントの分からない本だった。そもそも、この本が扱おうとしている「物理学者の言う神」なるもので著者が何を意味しているのか分からない。この神とは無から創造する神なのか?永久機関や錬金術の不可能性は、悪魔が神の無力さを示したのだ(p.74)と言うが、すると神とは自然法則を逸脱する者なのか。ビックバンを引き起こした不動の動者として神を考えるとするときの「神は、いかにして宇宙の始まりの無限大の圧力に耐えたのだろうか」(p.126)という言葉は何を意味しているのか。神は空間内の存在者なのか。核エネルギーは多数の生命を殺傷する悪魔の誘惑になりうるものだ(p.130)と言う、ここでの神は倫理的な、善のイデアの体現としての神なのか。カオスが示す無秩序に見える振る舞いを引いて「神は、偶然のルーレット遊びにのめり込んだ真の賭博師なのかもしれない」(p.141)と言うが、カオスの振る舞いは初期条件の違いと結果の違いが非線形であるだけで、初期条件が設定されればその結果は一意ではないのか。

ということで「神」という言葉で何を言おうとしているのか、ポイントが分からない。様々な「神」があるのだというなら、それらは概念的に区別されるべきであって、同一の単語で無差別に参照され続けるべきではない。この本書の核となる「神」を巡る言説を抜いてしまえば、個々のトピックについての物理学史として読める。そう読めば、永久機関の試みと挫折の記述とか、人間原理の解説、経済物理学におけるフラクタルの話などはよく書けていて、それなりに面白い。だが、それでは論点がバラバラな物理学史の寄せ集めである。

ツッコミを二つ。

「デカルトが代数幾何学を創始した」(p.31)という記述だが、図形を座標における実数の組の集合として表す方法は解析幾何学analytic geometryと言われる。代数幾何学algebraic geometryといえば19世紀以降に成立した分野であって、創始者としてはリーマンとかか・・・と思いきや、方程式の解(の集合)として図形を捉えるデカルトの見方をもって代数幾何学の創始者とする向きもあるらしい(ソースはwikipedia)。

以下の二つの文は互いに違うことを言っているようだし、どちらも正しくないように思われる。一つは言明の真偽の決定可能性の基準について、もう一つは言明の真理の基準について語っている。
ある一つの言明があるとする。その言明が真か偽かを判断できるのは、その言明が正しいとして導かれる結論と、正しくないと仮定して導かれる結論が一致するような場合である。(p.88)
その言明を真と仮定しても偽と仮定しても、必ず同じ結論が得られる→言明は真である(p.93)

例えば、PAにおいて言明「0=0」を考えよう。これが真だとすると導かれる結論の全体はTh(PA)だが、正しくないと仮定する(言明の否定を仮定する)と、PAの言語で記述可能なすべての文が帰結する。というわけで一致しないが、「0=0」はPAにおける真なる言明である。
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