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友岡賛『会計の時代だ』

会計の時代だ―会計と会計士との歴史 (ちくま新書)会計の時代だ―会計と会計士との歴史 (ちくま新書)
(2006/12)
友岡 賛

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会計とは「財産の管理という行為の受託者が自分のおこなった財産の管理の顚末をその委託者にたいして説明すること」なのである。(p.13)


15世紀のイタリアから始まる会計の歴史を扱ったもの。平易な調子で書かれており、会計上の細かい話はほとんど出てこない。会計が現在もっている意義、その由来を知るには親しみやすくよい本だ。

会計の歴史について一般的に誤解されている、あるいは正しく理解されていない事柄をきちんと指摘しようとしている。例えば簿記の発明者と言われることもあるルカ・パチョーリについて。彼が簿記の発明者であるというのは誤り。パチョーロの業績の意義は、複式簿記を(ラテン語ではなく)俗語のイタリア語で示したこと(1494年)にある。ただし彼はヴェネツィアで行われた複式簿記を包括的に記したのみで、複式簿記に対する理論的考察はない(p.43-51)。ただ、ちょっと疑問に思われる、次のような記述も見る。
ルネサンス期のイタリアの繁栄については、それを安易に資本主義とみなすべきではない、といった主張もみられるが、そうした主張がなされるということは、それを資本主義とする理解が(その正否はさておき)少なくとも存在しているということである。そして、そうした理解をいわば代表する都市がこのフィレンツェだった。(p.90)


また、株式会社の歴史についての記述が面白かった。16世紀の東インド会社を主として株式会社がイギリスで様々に生まれたが、それらはすぐ一般的になったのではない。アダム・スミスは『国富論』(1776)で、エージェント問題を持ちだして株式会社がすべての企業にとって最良のものは限らないと主張している(p.113-119)。「産業革命は事業に要する資本の増大をもたらしたが、株式会社という企業形体は一般の商工業において直ちに採用されることにはならなかった。」(p.119)

なんといっても現代の会計の意義について印象に残った。会計accountingは単なる利益計算、カネ勘定countingではない。会計は財産の受託者が委託者に対して財産運用の結果を説明することaccountingである。委託・受託の関係がなくても利益計算は行われるが、それは会計ではない(p.10-13,68ff)。ということは、会計は委託者(株主)が納得すればいいのであって、その内容が真実である必要はない。逆に言えば、たとえ真実であっても委託者が納得しなければ、会計として成立しない(p.15)。

会計士というプロフェッショナルが誕生した背景もこの説明としての会計にある。19世紀初頭、監査人は株主でなければならないとされていた。株主であるからこそ、自分の財産として真剣な監査が行われるだろうという意図によるものだった。だが、株主監査人はおしなべて素人だったため、不正・粉飾が多発し用をなさなかった。こうして独立した会計士による監査という制度が19世紀中頃から定着してきた。まさに株主(財産委託者)を納得させるため(=会計を行うため)、会計士による監査が求められるようになったのだった(p.178-190)。
そこにあったのは、会計士による監査がおこなわれなければ株主が納得しない、という社会的情況だった[...]。会計士というプロフェッショナルの存在を知るひとびととすれば、会計士による監査でなければ納得できない、ということだった。(p.188)

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