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森三樹三郎『中国思想史 下』

中国思想史 下    レグルス文庫 97中国思想史 下  レグルス文庫 97
(1978/05)
森 三樹三郎

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下巻では上巻での諸子百家の展開を受け、漢代から清朝までの展開を扱う。儒教を基調としつつも、時代により老荘思想への振り戻しが起こる。またそれに仏教や道教の影響が絡んでくるという展開。

中国思想における仏教の位置づけとしては、まずそれがいかに儒教による発想を補うものでるかが述べられる。儒教はもともと、「いかに正しく生きるか」を説く道徳論であって、「いかに幸せに生きるか」という幸福論の側面は薄い(これは別に儒教に限ったことではない。カントにおいても幸福は結局まともに扱えなかった)。漢時代に儒教が普及するにつれて、儒教に幸福論がないことに対する不満が上がった。例えば司馬遷『史記』の「天道、果たして是か非か」という言葉もこのような不満を表す強烈な儒教批判である(p.240-243)。儒教思想の範囲内でこれを補おうとしたものとして易経が位置づけられる(p.232)。儒教におけるこの道徳と幸福の分離への不満は、六朝時代での老荘思想の流行、仏教の輪廻説への熱狂の背景となる(p.254)。

こうした儒教への不満にもかかわらず、仏教はなかなか中国に普及しなかった。仏教は前漢末の頃に中国に伝えられたとみられるが、それが普及するのは300年後の東晋の頃である。この仏教の普及を妨げた要因として、以下の二つが挙げられている。(1)漢代の知識人が基本的に政治的であり、宗教心がなかったこと。魏晋時代になって知識人層が官吏から貴族へ移り、政治色が薄れた。この時代の老荘思想の流行はそれに伴うもの。(2)根強い中華思想の下、外来の思想である仏教は低く見られていた。しかし五胡十六国の時代になり、夷狄の勢力に屈し中華思想が後退した。(p.275-280)

唐代になって仏教はいよいよ盛んになり、仏教の諸派は唐代初期にほぼ出揃った。しかしこのうち後々まで勢力を保つのは浄土宗と禅宗だけである。これら二つには、理屈を嫌い、念仏や座禅などの実践を重んじるという共通点がある。天台・華厳・法相などは深遠な理論を持っていたが、理屈ぎらいの中国民族の体質には合わずに大衆性を欠き、一般には普及しなかった(p.305f,323)。

また、中国における仏教の受容に関して、以下の二点が興味深い。(1)基本的に現世の思考しか持たなかった中国の人々にとって、輪廻説を持つ仏教は大きな衝撃だった。儒教のもとでは、いかに道徳的であっても不運に終わる人間は救われない。中国の人々は仏教の輪廻説に救いを求めた(現世の徳行はたとえ報われなくても、来世で報われる)。これは輪廻は恐るべきものであり、解脱によっていかにそこから抜け出るかと考えたインドの人々とはまったく方向が逆である(p.287)。(2)禅宗はインド由来のものであり、達磨にその起源が求められる。だがそれは『荘子』に見られるように言葉や論理より直観を重んじる中国の伝統から生まれたものと考えるべきである。その意味では、道生の頓悟説こそ禅宗の先駆をなすものである(p.287ff,313)。

こうして六朝隋唐の700年間は仏教の黄金期だったが、これは文化の担い手であった士大夫が門閥貴族だったことが大きな理由である。彼らは貴族であり、政治よりもむしろ文芸、哲学、宗教への関心が深かった。しかし宋代においては状況が変わる。宋代の士大夫は貴族ではなく、一代限りの一般庶民から選ばれた官吏である。またこの時代は、外には遼・西夏という強力な夷狄の脅威、内には王安石など新法派と司馬光など旧法派の対立など、内憂外患の時代だった。こうして危機の時代に直面した士大夫たちは、仏教ではなく治国平天下を説く儒教に帰っていくことになるのである(p.330ff.,363f)。「一言で言えば、宋学は仏教にたいする儒教の反撃の結果として生まれたものである。」(p.332)その後、清朝中期以降の学者、特に公羊学派には仏教への接近がみられる。これは朱子学や陽明学が衰微し、個人の心のより所の原理として仏教が求められたからである(p.428)。

もう一つ、陽明学の展開における儒教の変様が興味深いので記しておく。明代の王陽明は朱子学に対抗し、理と気の一元論を取った(ただし理を乱し悪をもたらす「私欲」の源については沈黙している)。陽明学のポイントは、王陽明が晩年になって良知を強調するようになったことである。良知とは人間誰しもに備わっている道徳心のことで、これは生来のもので獲得するものではない。この良知の一つの働きとして感情が認められたことから、陽明学は自然主義へ傾く。良知説は陽明学という儒学を民衆に普及させるという「前代未聞の流行の基」(p.393)となり、「儒教にとっては未曽有の大衆動員」(p.399)を実現させた。ただし、これを可能にしたのは明代の江南地方の経済発展と、それに伴う庶民階級の生活水準の向上である。(p.394)



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