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アラン・グリーンスパン『波乱の時代 (下)』

波乱の時代(下)波乱の時代(下)
(2007/11/13)
アラン グリーンスパン

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伝記的な事項が多かった上巻とは違って、下巻では世界全体を見渡した経済論議がなされる。その範囲は先進国・途上国を含むまさに世界全体に及んでいるし、歴史的経緯なども踏まえていて極めて視野が広い。そして自由主義に一貫して基づく堅実な議論となっている。世界経済の見取り図として第一級の議論だろう。下巻は単なる伝記ではない。

印象的だったのは、経済における文化の役割への注目。経済はグローバル化しているが、文化はそれぞれにローカルなものである。国民の精神的気質を始めとするこうした文化は、経済の道行や経済政策に大きな影響を及ぼす。例えばアメリカに特有のこととして、巨大企業に対する憎悪が伝統的に残っている。これはもともとアメリカ経済が小規模農家と中小企業によって構成されていたことによる(p.49)。バブル崩壊後の経済政策(銀行救済)における体面を気にする日本の慣習(p.56f)、急激な資本主義化の中で「文化のコードを変える」のに苦労するロシア(p.110)、経済ポピュリズムに傾斜する中南米諸国、等々。「歴史は重くのしかかる。何世代にもわたって受け継がれてきた信念や、社会に根づいた文化は、わずかずつしか変わらない。」(p.116)

グリーンスパンの自由主義的基調は財産権を保護することが経済発展の鍵だ、というポイントに集約される。経済発展の3原則が挙げられている。(1)国内の競争の程度(途上国の場合は貿易の開放度と世界経済との統合の程度)。(2)経済活動を支える国内制度の質。(3)政策当局がマクロ経済の安定にどこまで成功しているか。グリーンスパンの場合は、(2)の特に財産権の保護が経済成長の根幹だとしている(p.3-10)。途上国が途上国であり続け、先進国に発展できたのはまさにこの点に問題があるからだ。つまり、財産権の執行が弱いからである(p.183,285f.)。

この延長線上にヘッジファンドやプライベートエクイティファンドへの規制反対もあるだろう。18年間に渡って規制当局の長を務めた人物の言は重い。「ウォール街の蜂が受粉するのを止めたいと願う理由があるのだろうか」(p.161)。ヘッジファンドなどは頻繁にポジションを変えるため、その実態把握は極めて難しい。ヘッジファンドの規制によって流動性が失われるが、規制強化にどのような利点があるのかは見いだせない、と著者は語る。複雑になりすぎた現代の経済では人間が効率的に介入することはできず、危機を防ぐために最も有効な手段は市場の柔軟性を維持することである。流動性があれば自由市場の不均衡は解消される。取引相手による相互監視、「見えざる手」に頼るしかない(p.313f)。これ一種の諦めなのだろうか。

他のメモしたポイント。

政府による規制の三原則(経験則)。(1)危機の際に作られた規則は、速やかに微調整しなければならない。(2)規制当局は単独よりも複数の方がいい場合がある。(3)規則は有効でなくなっても生き延びるので、定期的に見直さなければならない。(p.164f)

アメリカは世界の中で明らかに異色であり、したがってアメリカ社会の所得不平等の原因はグローバル化以外の幅広い説明が必要である。そのなかで一番説明力を持つのはアメリカの初等・中等教育の機能不全である。アメリカの教育は、社会の発展が求めるスキルのある人間を育成することができなかった。(p.196-202,286,334)

「独立した」取締役は効果的ではない。対立する意見があれば経営陣が誠実になるというのは謎である。取締役会の目的が一致していなければ効率的な経営はできない。取締役会での意見の違いそのものには価値ががなく、企業統治を傷つけ赤字を生むだけだ。(p.237f)
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