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網野善彦『蒙古襲来』

蒙古襲来―転換する社会 (小学館文庫)蒙古襲来―転換する社会 (小学館文庫)
(2000/12)
網野 善彦

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タイトルから連想されるのとは違って、蒙古襲来に限った日本史記述ではなくて、鎌倉時代の北条氏による執権政治の成立から崩壊までを描いている。この著者の初期の著作だが、それ以後まで続く視点は既に現れていて面白い。つまり、農業部門とは違う非農業部門(商業、手工業、芸能民など)の動きを取り上げたり、単に為政者に屈する被搾取民以外の人々の姿を描こうとする。冒頭に石を投げ合う飛礫という風習から説き起こしているのが面白い。著者は飛礫を民衆の力の表れとしてみているわけで、中世前期の民衆は「なお原始の野生につながる強靭な生命力をもって」(p.25-29)おり、鎌倉後期は日本人の野生が社会の至る所に横溢した最後の時代なのだ(p.39)。

なぜ鎌倉時代が野生の最後の時代なのかといえば、農業的世界が未成熟だったからである。鎌倉時代には一方に殺生を「悪」として忌避する、農業を基盤とする世界があり、また一方には「悪」にむしろ親近感を抱く非農業(商工業者、漁民など)の世界があって、これら二つの世界が交錯し、お互いを主張しあっていた(p.100,156f)。13世紀前半に成立した中世社会は、農業的な自給自足した社会ではない。そこには独立した非農業部門があった。日本の文化はこの二つの世界の交流・対決の中から創り上げられてくるものである。(p.594)

そもそも「悪」は政府側の規定である。海の民には海賊もいたが、海賊という呼称は取り締まる政府側の言い方である。彼らはもともと朝廷や寺院から特権を与えられた人たちで、海賊行為はそれを守ろうとしたものとも見える。(p.129-131)

鎌倉末期の後醍醐天皇の時代は、まさにこうした「悪」が溢れだす時代である。例えば楠木正成のゲリラ戦、非標準的戦い方はまさに悪党のものであり、鎌倉幕府を苦しめた(p.577-581)。後醍醐天皇は楠木正成などの畿内の非農業民、また彼らを統率する武装集団と結びついた。彼らは悪党・海賊として政府の禁圧のもとにあったが、これらの人たちはもともと天皇と直結した人たちである。後醍醐天皇がこうした人達に注目したのは自然なことなのだ。無礼講的な、破天荒な後醍醐天皇の性格のもと、悪党や野伏たちの奔騰するエネルギーは、噴出点を見出したのだった(p.568)。

こうした悪党たちの興隆は頽廃ではない。頽廃というにはエネルギーと野性味に溢れている。だがこれは革命的勢力でもない。それは農業世界が主流となり、日本が文明化していく過程での、貨幣のもたらす富への欲望に転化した未開の野生である(p.498ff)。日本社会は元寇以降、農業を中心に急速に文明化する。海賊や倭寇は「未開の最後の組織的反撃」(p.595f)なのである。

一方、農民たちについて書けば、中世の農民たちは単なる収奪される被害者ではない。有名な「ミミヲキリハナヲソキ」の言上(1275年)で知られる紀伊国阿弖河荘の農民たちも、地頭と寺院の間の対立をうまく利用していた。また弓削島荘の農民たちの逃散(1314年)も恐怖にかられてというよりも、戦略的なストライキであった。(p.236-241,502ff)

しかしながらしかし天皇と結びついていた職人たち、悪党たちは後醍醐天皇以降、しだいに「公界」「無縁」の場に押しこめられ、差別の対象とされていく。これと対応して、天皇は現実的権力から切り離され、「芸能」をもっぱらにすべきことを強制されていくことになる(p.597f)。こうして野生の中世を経て、農業中心の日本という形が出来上がってくることになる。
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