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竹内洋『丸山眞男の時代』

丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)丸山眞男の時代―大学・知識人・ジャーナリズム (中公新書)
(2005/11)
竹内 洋

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丸山眞男を巡って書かれている本だが、丸山眞男自体の思想の解説はほとんどない。この本は丸山を近代日本の政治思想研究に駆り立てた、強化した時代背景や、丸山によって生み出された潮流とその「裏切り」について書かれている。思想史ではなく知識社会学の試み。いまでは忘れられているような固有名、エピソードが多く出てくる。

丸山と対比されているのは、右翼・左翼の急進的、純粋で暴力的な思考・行為だ。戦前では国粋主義者で東京帝大法学部教授を最終的なターゲットとして、著書・言動の細部を不敬として取り上げた蓑田胸喜と原理日本社。戦後では全学連を始めとする学生運動が取り上げられている。ただこれらは同等の比重を持って書かれてはおらず、戦前の話題には一章のみが当てられ、残りの5章は戦後の話題となっている。

例えば戦前の蓑田胸喜を中心としたヒステリックな国粋主義、反アカデミズムは、戦後直後の「超国家主義の論理と心理」(1946)へ向かう丸山の思考を強化した。「三〇年代の悪夢は、戦後の丸山の認識と戦略を規定した」(p.119)のであって、反共主義への傾倒の時代の中で丸山は「反・反共主義」を取ることとになる。これはいきおい、共産党への接近を意味する。しかし1955年以降、丸山は日本共産党から距離を取る。ここに生まれるのが、共産党ではない進歩的左派で、この意義は大きい。「共産党という媒介物なしに左翼の正統的な圏域が創出されたということであり、そのことは、知識人による大衆インテリの直接的掌握に道が開かれたということなのである」(p.128)。そしてこの開かれた道に、安保闘争において大衆がなだれ込んでくる。

丸山は安保闘争のなかに、急進的ではなく、軽い、部分的な政治参加をする自発的な市民を見ていた。戦前の超国家主義のように国民全体が一方向に傾いてしまった事態の左翼版を警戒していた丸山だが、そうではない大衆(「在家仏教主義」)の誕生を寿ぎ、安保改定反対運動を敗北したものとは看做さなかった(p.153f)。こうしてノンセクト・ラジカルに位置が与えられ、「安保闘争から全共闘運動がはじまる前までの時代においては、丸山がノンセクト・ラジカルの守護神の位置にあった。逆にいえば丸山は、丸山(などの知識人)に同伴する大衆インテリを創出したのである」(p.158)。(ただしそれは丸山が考えるほど日本全体の動きではなかった)

さて第三章で著者は、丸山がどうしてこうした大衆を形成する能力を持ったのか、ということを、ブルデューの図式を用いてそのポジショニングから語っている。これはなかなか興味深い読解である。「丸山の覇権は、学問界と政治界(政治的実践)、ジャーナリズム界の交通によってなされたもの」(p.178)だが、その鍵となるのが丸山が東大法学部の政治思想史教授だったことだ。この法学部と文学部の狭間のようなポジションは、実証的・学問的(文学部的)でありながら、実践的・ジャーナリスティック(法学部的)というスタンスを可能にした(p.183-196, 197-200)。法学部であったからジャーナリズムに近いが、文学部に近いこともありジャーナリズム一辺倒に汚染されることを免れた。文学部的ではあるも法学部であったことから。そこまで実証性を重んじず、大胆な図式の論文を書けた。

丸山の創出した大衆インテリ、在家仏教主義は全共闘運動で丸山に反逆し、牙をむくことになる。「安保闘争時のノンセクトの進歩的学生は丸山を教祖としたが、いまや丸山を大学知識人の代表として糾弾するようになる」(p.249)。だが著者は、この全共闘こそ丸山の創出したものの結果だ、という。組織的構造と言える組織を持たない、純粋な運動体としてのノンセクト。「このような組織ならざる運動体こそ丸山のいう在家仏教主義の結実にほかならない。だとすれば、丸山は自ら作り出した在家仏教主義=ノンセクト・ラジカル(全共闘)によって手ひどい攻撃を受けたということになる」(p.249f)。

そして皮肉なことに、ここに丸山が忌避した蓑田胸喜的なものが回帰する。丸山は亡霊を自ら呼び寄せたことになる。著者は蓑田と全共闘の類似を次のように書いている。
蓑田たちは[...]大学の目的を定めた大学令第一条にある「国家ニ須要ナル」や「国家思想ノ涵養」を盾にとって「赤化」「容共」「デモクラ」帝国大学教授を大学令第一条違反として攻撃したが、全共闘学生は、進歩主義教授たちがよすがとする「民主革命」や「人民のための学問」を盾にとり、なぜわれわれとともに戦わないのか、なぜ、われわれの闘争を管理しようとするのかと攻撃した[...]。
蓑田たちの「根源的学術維新」と全共闘学生の「文化と知性の革命」のキーワードが示すように、制度論(祭司的)を忌避し、精神論(予言者的)に固執するところも似ている。蓑田一派は、帝大法・経・文の学風を粛清するために「帝大閉鎖論」を提起したが、これも全共闘の「大学解体論」に似ている。このようにみてくると、大学知識人にとって原理日本社やそのシンパ学生からの糾弾と全共闘学生からの糾弾は機能的には等価だった。このような機能的等価性の背後には、攻撃者の知識人界での位置の相同性があった。(p.243f)

そして著者の見るところ、丸山に欠けていたのは「知識人や科学者という客観化する主体の客観化、あるいは客観化する視点を客観化する社会学的視点」(p.304)だった。自らが創出したものだけではなく、自らの言説がどんな位置にあり、真理の審級を巡るゲームのなかでどう位置づけられているかに対する感覚の鈍さ。それが結局は亡霊を呼び寄せたのかもしれない。
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