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宇野 邦一『ドゥルーズ 流動の哲学』

ドゥルーズ 流動の哲学 (講談社選書メチエ)ドゥルーズ 流動の哲学 (講談社選書メチエ)
(2001/04/10)
宇野 邦一

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ドゥルーズについて書かれた本。初期の哲学者モノグラフの時期、『差異と反復』、『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』、映画論、『哲学とは何か』を中心とする哲学論、についてドゥルーズの生涯を追いつつ書かれている。著者がこの本を書くにあたって目したことは(1)ドゥルーズ初期の哲学者モノグラフから思考の源泉を探ること、(2)『差異と反復』からドゥルーズの思想の原理を読み解くこと、(3)『アンチ・オイディプス』を現代でも通じる資本論として読み解くこと、(4)晩年のライプニッツ論、哲学論をギリシャとの関係で読み解くこととなっている(p.263f)。

ドゥルーズの思想はかなり捉えどころがないこともあるし、既存の枠組みを破って自由奔放でもあるから、それについて書くのはかなり難しいだろう。よく書けている方だとは思うが、ドゥルーズの思考に馴染みのない人にはなんだかよく分からないと思う。

初期の哲学者モノグラフから、ベルクソン、ヒューム、スピノザ、ニーチェ、そしてプルーストを取り上げた章はよく書けているし、腑に落ちる。特にスピノザから器官なき身体の概念へと接続するくだり(p.53f)は、このいつでも指の間をすり抜けるような概念について少し手応えを感じた。

『差異と反復』の読解はやはりかなり難しい。反復概念は3つに整理されていて、これはよく書けている(p.96-108)。(1)習慣、現在として把握される、要素の水平的配列、(2)記憶、反復する過去、(3)思考の運動を可能にする「純粋で空虚な形式」としての時間(カント的に言うと感性の超越論的形式としての時間)。

『アンチ・オイディプス』は精神分析や欲望の資本論を巡ってまとまった記述になっている。『千のプラトー』について書かれた章になると、やや苦戦しているように思われる。それはこの本自体がかなり拡散した思考の本であるから仕方ないが、脱領土化/再領土化の概念と国家装置/戦争機械の概念をもっと書いてもよいだろうし、個人的にはリトルネロを巡って何か書いて欲しかったところ。

映画論については自分の関心が薄いこともあり、ポイントはよく分からなかった。そもそもまだあまり解明されていない領域だろう。哲学論については概念という概念を、命題との対比、内在平面、概念人物といったところから読み解いており、これはやや読みやすい。

ふと気になったのは「微分法にしたがえば、dxもdyも、それ自体では規定できず、もっぱらたがいに関係しあうことによってだけ規定される量である」(p.156)という書き方や、dx, dyが無規定だがdy/dxは規定される(p.109f)という書き方。無限小を規定したいならhyperrealの方法があるし、Δxとdxの区別がついていないところで突っ込むのは不躾だが、dxやdyをそれ自体として規定する仕方もある、と高木貞治『解析概論』第13節を読んでいて思った。
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