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久松英二『ギリシア正教 東方の智』

ギリシア正教 東方の智 (講談社選書メチエ)ギリシア正教 東方の智 (講談社選書メチエ)
(2012/02/10)
久松 英二

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これはかなりよい本だ。ギリシャ正教について、それがなぜローマ教会と分かれたのか、何が違うのかを慎重に評価している。また、現在の西方教会と東方教会の和解へ向けた動き、世界各国のギリシャ正教会の略伝と現況について詳しいのも特徴だろう。もちろん、ギリシャ正教ならではの特徴、つまりイコンを中心とした信仰やヘシュカズムについても書かれている。

最終的な東方教会と西方教会の対立点を著者はfilioqueというニカイア信条の中の一語に見ている(p.172ff)。「精霊は父から発出する」というのがニカイア信条の元々の文言であり東方教会の認めるものである。だが西方教会はこれを「精霊は父と子から(filioque)発する」と子についての言及を加えている。それはキリストの神性をより重視する西方教会の態度を表すが、東方教会から見ればそれは教会として定めたもっとも基本的な信条に対する改竄に他ならない。東方教会側は西方教会に修正を何度も求めたが(p.51f,63)、むしろfilioqueを東方教会が「削除」したのだとさえ非難される始末となった(p.82)。

東方と西方の教会の対立は、つまるところ信徒の勢力争いである。例えばブルガリアのキリスト教化に際してのローマとビザンツの勢力争いにそれは典型的に見られる。この教会分裂の最初の原因はおそらく、コンスタンティノポリス主教区の地位にある。主教区は他にローマ、アレクサンドリア、アンティオケイア、エルサレム。これらが主教区であるのは、パウロやペテロが現地を訪れ、原始教会を組織したという伝説に基づいている。だがコンスタンティノポリスは事情が異なり、それが主教区なのは端的に首都だからである。330年に首都となったコンスタンティノポリスは、381年のコンスタンティノポリス全地公会議において主教区の「名誉上の」地位を獲得する。その後、451年カルケドン公会議でコンスタンティノポリスはローマと並ぶ地位を与えられる。これに対する西方側、教皇レオ一世の抗議に教会分裂の源を見る(p.25f)。

1054年の教会大分裂は著者が見るところ「結果論」(p.85)である。西方教会側はコンスタンティノポリス総主教を破門としたが、それは総主教個人への処置であって、コンスタンティノポリス主教区自体を認めないとしたわけではない。「アレクサンドレイア、アンティオケイアそしてエルサレムの各総主教はローマ都の対立抗争から除外されていたのであるから、「東西両教会」の分裂というのは、明らかに飛躍しすぎである。事実、この相互破門が大シスマの発端となるなどとは、当初は当事者でさえも考えてはいなかった」(p.83)。とすると、実質的な問題は第四回十字軍によるコンスタンティノポリス占領と略奪(1204年)であるように思われる。十字軍とは何だったのかが次の関心事として上がってきた。
1054年の大シスマは制度としての教会の共同体的一致を破壊した。しかし、1204年の十字軍の経験は、東方の人々の心に西方に対する癒しがたい憎悪感を植えつけることとなり、カトリックと正教との間に修復不可能な内的亀裂をもたらした。(p.85)


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