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阿満利麿『法然の衝撃』

法然の衝撃―日本仏教のラディカル (ちくま学芸文庫)法然の衝撃―日本仏教のラディカル (ちくま学芸文庫)
(2005/11)
阿満 利麿

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浄土宗の開祖、法然について。その思想が持つ同時代や伝統への影響と断絶を語る。著者の問題意識に沿って自由に論が展開されるような趣もあるが、全体として統一を保っていて読みやすい。スタイルとしては学術的というよりは随想的なもの。

著者は冒頭から、氏神・祖先信仰を支える仏教(現代では葬式仏教にこの役割が見られる)と、自らの魂の救済を目的とする「自家用の」仏教を区別する。そして典型的には後者のみに限定された法然の思想が、前者の伝統的・社会的・制度的仏教とどのようなかかわりを持てるのかについて考察する。法然によれば、極楽浄土への往生に必要なのはただ阿弥陀仏の誓いを信じ念仏を唱えるだけだ。苦行、出家、寄進といった行為は必要ではないどころか、雑行として排除されている。自らの決定により阿弥陀仏への信仰を持つこの思想は、地域の神、国家権力、伝統にも縛られない自律したものであり、著者はここに法然の衝撃を見ている(p.93, 100, 179, 235f)。法然にとっては鎮護国家に代表される仏教の伝統や、本地垂迹説を初めとする神仏習合もさして意味を持たない(p.138, 147)。

だとすると、法然の思想は社会とどのようなかかわりにあるのか。それは、倫理・道徳的側面について何を語ることができるか。この点で言えば、浄土宗の社会倫理には何も内容がない(p.169f)。というのも、法然が求めるのは阿弥陀仏の本願を信じて念仏を唱えることだけであり(この本願の信を強調するかどうかで一遍と法然が分かれる)、それは現世にいかなる徳行を積むかということとは切り離されている。専修念仏によって、人間性は絶対的に肯定されているのだ(p.129-132)。

この法然のラディカルな社会からの断絶は過激なものであって、法然以降の流れにおいては薄められることになった。現世においてなすべき道徳的行為への目配せが浄土宗の中で法然以降に復活してくるし、親鸞が大乗仏教と整合性を合わせようとする動きも、著者はこの文脈で見ている(p.203)。

法然のラディカルさを当時の国家・社会、仏教と神道の伝統とのかかわりでみた本書は読みやすいし、よく抱えている。ラディカルさを際立たせようとして強調しすぎかもと感じるところはあれど、よい本だ。
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