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佐藤卓己『言論統制』

言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)
(2004/08)
佐藤 卓己

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鈴木庫三(1894-1964)という人物についての本。この人物は旧陸軍において情報局情報官を勤め、出版界に対する言論統制に携わったことでその名を知られている。戦後に語られるその言論統制の様子はまるでヒムラー。大声で相手を抑止し、言論の自由を弾圧する姿が描かれ、暗い時代の象徴として記憶される。しかしそもそもこの人物はどんな出自を持ち、どんな思想を持ち、どんな背景で言論統制に関わっていたのか。著者の呼びかけに応じて発見された彼の戦前・戦中の日記を用いながら、鈴木庫三という人物を明らかにしていく。

著者の手法はこれぞ歴史学。実に素晴らしい。性急な正邪の評価をすることなく、あくまで何が事実であったのかを突き止めようとする姿勢は稀有なものだ。例えば、丸山真男を批判するくだり(p.89f)は特に印象に残る。軍隊においては、基本的にはすべての軍人は家柄や出自がどうあれ(一部、宮家の人間などは除いて)一律の規律のもとにある。能力差による昇進の違いはあれど同じ訓練を受ける。ここにはある種の平等性、民主主義がある。丸山真男はこれを「擬似デモクラシー」と呼び、「畸形児」と称している。これに対する著者の批判は胸のすく思いがする。
政治学者がどんな理想型を立ち上げようと自由だが、歴史的には『本物』や『正常』な民主主義など存在したためしはない。[...]「擬似」という言葉は、歴史の前ではまったく非実用的である。(p.90)


さてこの鈴木庫三という人物だが、まずもって評価するのが難しい。彼に対する戦後の様々な言説をかいくぐらなければならない。出版界の人間は戦後に鈴木庫三を言論弾圧者として非難するのだが、その非難には事実でない事柄や、そもそもこの人物をよく知らないとおもわれる事柄も散見される(p.301)。つまり、出版界は戦時下にあって戦争を鼓舞し賛美する言説を振りまきつつ、戦後になって自分たちは言論弾圧の被害者であると主張している。そうした自己弁護のために事実の捏造まで行われている(p.367-371)。こうした事実に反する非難に対して、「戦後、「鈴木少佐」が言論弾圧者として集中砲火を浴びたとき、報道部における彼の元上官や元同僚は誰一人として彼のために弁明しようとはしなかった」(p.382)。まして本人も沈黙し、熊本の農村で戦後を過ごしている。

著者は鈴木庫三の活躍した場面を情報官としての言論弾圧と、教育将校の教育改革・国防国家論に見ている(p.276)。この人物は元々、陸軍内の教育将校として現れてきたものであり、その教育を国家全体に広げたものとして国防国家論、そして言論弾圧が出てくる。出生から時系列的に鈴木庫三の軌跡をたどっていく本書は、いきおい教育者としての記述が多い。言論弾圧の場面はセンセーショナルではあるが、それは鈴木庫三のコアをなすものではないということか。

その出生を巡って強く印象づけられるのが、メリトクラシーである。鈴木庫三は極貧生活のなかから猛烈な勉強によってキャリアを築いていく。しかし出身校や年齢制限などに引っかかり、結局は大佐止まりとなる。これが意味するのは、出生や資産などではなく能力によって評価される社会というメリトクラシーへの思いであり、挫折感である。すなわち、鈴木庫三を根本で規定するのは、言ってみれば「田舎者根性」である。難く言えば都会と農村のハビトゥス対立(p.112f)。華美で奢侈なものに対する反発である(p.166-172)。だから後の言論弾圧の対象もそうしたものとなる。実はこうした考え方を背景に持つ鈴木庫三の国防国家論、戦争=福祉国家論が「ほとんどソヴィエト体制である」(p.365)ことになるのは面白い。また見ようによってはメリトクラシー的な教育制度は戦後になって国家的に実現されたとも言える(p.408)。
鈴木少佐の攻撃対象はすでに見たとおり、「現状維持の重臣」、利己主義の「財閥」、エリート主義の「海軍」である。すでに「左翼雑誌」は鈴木少佐登場以前に弾圧済みだったとはいえ、鈴木少佐が「共産主義者」を問題にした文言は日記では一件も確認できない。(p.290)


ただ軍隊といえど旧陸軍と海軍は異なっていた。志願兵制を基とする海軍は陸軍よりメリトクラシーが大きく競争原理が支配していた。加えて、海上ではもともと脱兵もできず軍紀が維持しやすいため、やや自由主義的な思想が許される傾向にある(p.217)。すなわち海軍はスマートで都会的で「善玉」、陸軍はドン臭く、田舎っぽく「悪玉」という見方が(戦後を通じていまでも)ある(p.347)。陸軍は連帯感の醸成を主とし、家族的である。つまり「陸軍は属性原理にもとづくゲマインシャフト(共同社会)であり、海軍は業績原理にもとづくゲゼルシャフト(利益社会)といえる」(p.218)。陸軍の教育方針のほうが国民教育と同一視されていくのは自然の道行である。そして、戦後はこの逆を行った。
ついでに言えば、陸軍的組織モデルを否定した戦後社会、とくに「競争」の激しいビジネス社会で海軍教育が高く評価されたのは当然である。一方で皮肉なことだが、「競争」を否定した脱偏差値の学校教育のため、今日の公立学校で極端な「員数主義」や陰湿な「イジメ」といった内務班的現象が発生していることも想起すべきであろう。(p.218)


閑話休題。毀誉褒貶の大きく評価も微妙な問題について、ともあれ何が事実なのかを膨大な資料を駆使して突き止めようとする歴史学者としての著者の態度は素晴らしい。先入観に惑わされず、バランスを取って考えることの大切さを教えられる。
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