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クロード・レヴィ=ストロース『野生の思考』

野生の思考野生の思考
(1976/01/01)
クロード・レヴィ・ストロース

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言わずと知れた、レヴィ=ストロースの代表作。人類学の対象となる「未開」社会について、既存の見解を徹底的に批判し、自身の構造主義的立場を提示していく。論拠となるデータの量や、他人の見解への鋭さはさすがだ。
「未開」社会の思考を現代の思考への前段階(原初的primitif思考)と見ることを徹底して批判。独自の思考様式を持つ「野生の思考」として提示するものだ。
トーテミズムに代表されるような象徴体系。これは神話的、呪術的な未開の思考ではない。自然の象徴構造を隠喩的に写し取った、文化的構造なのだ。

しかし、期待したほどには面白くなかった。おそらく三つの理由から。一つは、自分自身あまり人類学に興味の無いこと。二つは、この本が置かれている思想的状況が共有できないこと。例えば、レヴィ=ブリュルを始めとする未開社会論と民族中心主義の問題。また、サルトルの思想。構造主義はサルトルの実存主義との格闘の中で生まれた。しかし現代ではサルトルの影響はほとんど見る影もない(最近、講義録や遺稿の発表で盛り上がっているようだが)。さらに、ソシュールの言語論。いまの言語学にソシュールの何が残っているのだろう?signifie/signifiantの区別は今ではほとんど忘れられた。それでなくともレヴィ=ストロースのソシュールの使い方は、かなり自由。というより酷い。訳者さえ疑問に思うほどである(p.333)。

三つ目はその体系志向だ。図式に強引に押し込めようとするような感じがして、興ざめするところがあった。例えば、命名に関するフランスの習慣から、鳥・犬・牛・競走馬について語る箇所がある。これが隠喩/換喩、人間的/非人間的という組み合わせで4つに分類される。かなり強引だ。そのような命名習慣にない日本人には、かなり空々しい議論と感じられた。ドイツ観念論も顔負けの、ごりごりの体系志向。冒頭のブリコラージュ論などは体系的志向にも自然さがあって、素晴らしいのだが。

また、自分が少し知っている分野への言及は、疑問を抱くものがあった。例えばラッセルの固有名論について(p.259)。レヴィ=ストロースは固有名は結局、ある程度は普遍名詞的であるのだと考える。その点からラッセルを批判する。しかしラッセルは、そうだからこそ、我々が通常固有名詞と呼んでいるものは固有名ではない、本当の固有名とは論理的固有名であると論じたはずだ。
もう一つはハイティンクについてのコメント(p.299)。これは失笑してしまった。「純粋数学の言表は現実について何も述べない」というハイティンクに対して、レヴィ=ストロースは数学の言表でも大脳皮質細胞の活動を反映しているのだと言う。したがって数学は大脳皮質細胞の活動について何かを教えてくれると。かなり苦しいコメントである。むしろ、この「数学は現実について何も述べない」というテーゼは、数学の哲学における「構造主義」の重要なポイントとなる。そう考えればかなり皮肉な事態である。
他にゲーデルについて書かれた一文があるが、そもそもコメントに値しない。引用しておく。「それはあたかも具体の論理が、生成の粘土をもって、ゲーデルの定理に模糊たる粗づくりをやって自らの論理性を呼び戻そうとするかの如くである。」(p.315)
1930~1970年代くらいの思想家には、特に数学・物理学・生物学について何か一言ぐらい言っておかなければならない、という傾向がある。そして通りすがりに言及し、自分の無理解を晒すことになるわけだ。

もちろん、素晴らしい議論はたくさんある。面白く読み進んだ箇所もあった。だが、当初の自分の期待には応えてくれなかった。
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