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佐藤進一『日本の歴史〈9〉南北朝の動乱』

日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)日本の歴史〈9〉南北朝の動乱 (中公文庫)
(2005/01)
佐藤 進一

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六波羅探題の滅亡(1333)から足利義満の死(1408)までを描いた歴史書で、この時代を扱った名著として有名。確かにかなり良く書けていて読みやすい。南北朝の対立期に当たるこの時期は、南朝・北朝のみならず九州の足利直冬の勢力などもあり各勢力が多様に分散している時期。そのため、ある人が一度は北朝側についたと思えば次の時期には南朝側についていたり、奥州・畿内・四国・九州と各地でそれぞれの戦いが繰り広げられ、バラバラな記述になりがちだろう。この本はそうした流れをきちんと押さえ、まとめている。北朝と南朝の対立は、鎌倉幕府の再興勢力と新勢力の代理戦争でもある(p.248ff)という軸も面白い。

個人的には最近、後醍醐天皇という人物に着目している一環でこの本を読んだが、後醍醐天皇自身の建武の親政についての記述はそう多くない。けれども、武士を排除して天皇専制を取り戻そうとする後醍醐の理想(p.21f)とその無理はよく書かれている。そもそも後醍醐という諡号そのものが醍醐天皇の延喜期、村上天皇の天暦期が天皇専制の時代であったことへのオマージュである。その親政はおそらく中国の宋の政治体制に影響を受けた君主独裁制(p.115f)であって、既存の貴族勢力どころか、「法といえども天皇の意志を拘束することがあってはならない」(p.38)というまでに強いものだ。ただし、(1)貴族層が日本ではまだ残存しており、すでに貴族が没落して科挙によって広く官僚が構成されていた宋とは異なり、天皇専制を支える官僚制が構築できなかったこと、(2)宋の軍人はすでに政府の給与で賄われる軍隊であったが、日本の武士は地主・領主であり、中央集権に抵抗する存在であったことなど、宋とは違う日本の社会構造を把握せずに一挙に天皇専制を導入しようとしたところに建武の親政が2年で瓦解した原因が見られる(p.114-118)。

本書の特徴の一つは、後醍醐天皇・足利尊氏・高師直・足利義満といった主要人物たちについて、その性格や気性を捉えていることだ。それによって人物像が鮮明に浮き上がる。例えば、足利尊氏は北条時行の乱に対して挙兵するかどうかついて歯切れが悪い。総じてムラの多い尊氏の行動について、著者は「尊氏は、性格学でいう躁鬱質、それも躁状態をおもに示す躁鬱質の人間ではなかったと思われる」(p.139)と述べる。さらに実直な足利直義や、既存権益をものともしない豪快な高師直・師泰兄弟(p.238-244)の記述も魅力的だ。

南北朝の対立とはいえ、北朝の皇室はあまり現れないが、足利政権はともかくも天皇によって征夷大将軍や鎮西将軍の称号を受けることによって武士の中でその地位を確保していた。ところが、1352年に3上皇が南朝に連れ去られ、幕府の根拠が失われてしまう。このときに足利義詮がとった、後光厳天皇の無理矢理な定立が天皇と幕府の権威をそいだ(p.301ff)。また、この背景には貴族層の精神の荒廃もあると指摘されている。こうした天皇の権威に対する苦悩は、足利義満の北朝接収の背景となるだおる。「幕府が義満の段階で北朝政権の接収にのり出したことは、幕府の質的な発展を意味するばかりでなく、日本国家史の転機をなす重要な事実」(p.459)なのである。他に義満について書けば、日本国王を名乗る背景には九州の大内氏から明との貿易を奪い取る意図がある(p.497-507)という指摘が目に留まる。

著者はこうした南北朝の70年に渡る動乱を、国家権力が下部組織に浸透していく過程を見る。単に権威上の理由であるだけで後継者に選ばれるのでなく、「器用の仁」があるかどうかで選ばれるようになっていることに、被支配者層の支持によって初めて成り立つ権力の成立を見ている。
思想的にも武家政治はこの段階ではじめて徳治主義に到達することができた。それはすでにたんなる儒教からの借り着ではなく、現実社会の上下一貫した支配・非支配関係に根をおろした武士固有の政治思想となったのである。(p.517)
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