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中野剛充『テイラーのコミュニタリアニズム』

テイラーのコミュニタリアニズムテイラーのコミュニタリアニズム
(2007/01/18)
中野 剛充

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翻訳調で読みにくいのだが良い本だ。テイラーの思想についてはまだまだ論じた本が少ない。特にこの本のように、言語哲学的な背景やケベック州独立問題まできちんと取り上げたものは類を見ない。著者の博論にあたるのだろうか。しっかりとした研究書だ。
ただし、言語哲学については不十分。やはり政治思想畑の人と見える。というか、もしやテイラーが不十分なのかも。ヘルダーとか言っていないで、ダメットを読んでほしい。テイラーが必要とするような言語の社会的機能についてであれば、ダメットがきちんと論じている。そして、意味の全体論に対するダメットの批判から、それを背景とするテイラーの議論への論点が見つかるだろう。もしかしたら「分子論的個人主義」なるものがありえるかもしれない。
他にも、随所でトクヴィルの名が挙がるが、まったく論じられない。文献表にも挙がっていない。この点はやや不満だ。

さてそれにしてもテイラーの自己論は鮮やか。しかし、やはり「ユートピア的」である印象を受ける。自分の行為について、欲求についての単なる評価ではなく、道徳的な善悪に関する「強い評価」をする自己。他者から受け取ったアイデンティティを不断に自己解釈し、ときには大きな変革にもたらす自己。このような目覚めた市民たちが作る、多文化主義的な国家。だが、こんな自己はどこにいるのか。我々がある程度はそうだとしても、ここまで目覚めた人間はそういない。本書で一カ所だけ言及されているが、テイラーの自己概念は事実命題でなく規範命題だいう批判は納得しうる(p.20)。社会はこのような市民たちによって構成されるのか。だとしたら、主観主義的に「堕落」した者たちはどうなるのか。彼らは警察などの権力によって押さえ込み、目覚めた市民たちだけが社会を率いていくのか?
単純な話だが、そんな強い評価や自己解釈をしている時間は無い。たいがいの人間は、そんな時間もないし、能力もない。だからこそロールズ的な個人観は、直接的な欲求のレベルで考えたのではないか。その辺りで話を付けるしかないわけだ。欲望や原初的な好悪の感情だけから自己のアイデンティティを生み出すロールズ的自己をモンスターとテイラーは批判するが(p.41)、テイラー的な強い自己の方がずっとモンスターではないのか。

道徳的善を究極的に支えるものとして出てくる、「神」。これにはやはり少し幻滅してしまう。神を直接持ち出さない、道徳的根拠へのアクセスとしてエピファニーとかいうよく分からない芸術運動なんて持ち出されても。あまり説得力を感じない。神なき世界でいかに道徳を語るのか。まだまだこの問題は難しい。


amazonに読書記掲載。
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なかなかの良書。本書は現代アメリカの政治哲学者、Charles Taylorについての研究書。テイラーは現代の政治哲学において、非常に高い評価を受けている。しかし日本ではまだあまり知られているとは言い難い。著作の翻訳も、テイラーについて論じた本もわずかだ。その理由の一つには、テイラーの思想の及ぶ範囲が大きく、「壮大な」思想家だからということがある。本書は、そんなテイラーの思想と真っ向から向き合っている本である。

テイラーと言えば、何よりも1980年代のリベラルーコミュニタリアン論争で有名だ。テイラーは、コミュニタリアニズムに立ち、重要な理論的根拠を与えたとされる。もちろんそれは、本書でも大きな位置を占める問題である。だが本書の意義は、このリベラルーコミュニタリアン論争を越えて、テイラー自身の思想の深みを明らかにしようとすることにある。テイラーの背景となる、ヘーゲルとバーリンの研究。言語哲学論。カナダのケベック州独立問題。そして近代的自己論と、広範囲に及ぶテイラーの思想をしっかりと捉えている。

第一章はリベラルーコミュニタリアン論争と絡める形で、テイラーの自己論をまず提示する。ここでは自分の行為に対する「強い評価」をなし、他者から引き受けたアイデンティティを不断に自己解釈し問い直す、自己の姿が描かれる。とてもよく書かれていると感じた。

第二章はテイラーの言語哲学について。それは言語哲学史の中から、指示的理論から表現的理論への展開を読みとるもの。だがここはあまりうまく書けているとは思えない。著者はやはり政治思想が専門で、言語哲学については明るくないと見える。基本的にテイラーをなぞるだけで、テイラーの見解を相対化する視点が取れていない。もしかしたら、テイラー自身の言語哲学がクリアでないのかもしれない。個人的にはここはダメットの言語哲学を参照すべきだと感じた。特に、その「主張assertion」についての議論を。言語表現による分節・構成の機能を語りたいのであれば、ダメットの議論は大いに参考になるだろう。それは、全体論的な意味の理論への批判を含めて、テイラーの自己論に対して豊潤な議論を提供すると思われる。著者およびこの分野に興味をもつ人に広く勧めたい。

第三章はテイラーの思想的背景となる、ヘーゲルとバーリンについて。特に師匠バーリンについてはよく書けている。消極的自由のみを認めようとするバーリンと、積極的自由へと踏み込んでいくテイラー。二人の対立点のあぶり出しを含め、思想史的にしっかりした記述だ。

第四章は特に素晴らしい。ここはカナダのケベック州独立問題に対するテイラーの議論を探る。ケベック州の問題は、テイラーにとって民族・国家・社会についての自らの見解が直接試される場面だ。テイラーもこの問題に大きな貢献をしているし、テイラーにとって大きな問題である。思想はこのような実践的な場面でこそ、なによりも試される。しかし日本でテイラーを読む人間には、ケベック州の問題は扱いにくい。この問題をきちんと扱ったことは、本書の大きな貢献である。テイラーの考える多文化主義の姿が、ケベック州の問題という実践的な問題に即して、明らかにされる。とても理解しやすく、うまく書けている。

第五章および結論は、テイラーの思想の限界・問題点へ至る。自己のアイデンティティを支える道徳的善は、その最終的根拠を「神」に持つというテイラーのキリスト教的直観。そのような道徳的源泉に至る道としての芸術概念「エピファニー」。このエピファニー論は、あまりよく分からなかった。このような芸術概念が、どのように近代的自己のアイデンティティを支えるものとなるのだろう。結論で語られるテイラー批判の中では、特に階級に関する記述が良かった。ただし、このような批判点は結論で突然論じるよりも、本文中で徐々に示唆していく方が読みやすいだろう。

以上、本書は壮大なテイラーの思想について正面から扱った、貴重な本である。総じて政治思想に関してはよく書けていると思われる。特にケベック州独立問題の章は、必読であろう。ただし、言語哲学的側面についてはあまり良い記述ではない。また、全体的に記述が翻訳調で読みにくい。外国語文献を翻訳しながら論じていると、本文が翻訳調になりがちなのはよくあるのだが。論文のスタイルとして、磨いてほしいところである。ただ、著者はまだ(研究者としては)若い。今後を期待したい。
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