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金龍静『蓮如』

蓮如 (歴史文化ライブラリー)蓮如 (歴史文化ライブラリー)
(1997/07)
金龍 静

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室町時代に浄土真宗を築いた蓮如についての本。浄土宗は法然・親鸞に始まるが、本願寺を中心とする組織体として浄土真宗を築き上げ、普及させたのは蓮如の功績が大きい。もともと浄土宗はただ阿弥陀仏のみを頼む/憑むものであり、社会倫理的な側面が薄い。既存の仏教諸派が浄土宗を攻撃したのはその理由もある。そうした蓮如の歩みを記した本だが、いまひとつ。組織構造や祭祀の詳細などの話が続き、蓮如の浄土真宗が他の諸派とどのように違っていて、当時の社会としてどんなインパクトがあったのはあまり明確ではない。

蓮如の改革の背景をなすのが、親鸞に戻れという考え。著者は親鸞以降、浄土宗が乱れていた原因を、善知識そのものが如来と同等、という考えに求めている(p.22-30)。知識を持つ上でそれぞれの高田派の歴代は同等と考えられていたことが知識の変質を生んでいる。各門流の善知識によって独善的な教説の構築が許されていた(p.34)。蓮如はこのような状況を批判し、御文を直接記すことにより独善的解釈の排除を狙った。御文は蓮如の音声の保存として扱われた(つまり、エクリチュールへの抵抗として)(p.80f, 86)。

他にはなぜ浄土真宗(一向宗ともいう)が一揆の大きな流れを生み出したのかについて書かれている。が、その社会構造についてはあまり読み解けなかった。一揆は強制されたものではなく、阿弥陀と親鸞の恩に報いる報謝行であると捉えられていた(p.134-136)という指摘はあれど、もっと社会的な分析が必要だろう。

蓮如の浄土真宗がなぜ家族的な側面、すなわち本願寺を親として宗派の構造が家族的であるばかりでなく、家族というものを浄土真宗が保存しようとしたこと(p.191-193)はよく分からない。極めて個人的であった浄土宗がなぜ浄土真宗で家族や祖先信仰を取り込んだのだろう。

その他、著者は最後になって以下のように門流と宗派の分水嶺として蓮如を位置づけるが、その意味は謎である。
蓮如という人物は、宗派内の人々が、たんに「中興上人」とみなす以上に、重要な意味をもった人物である。日本仏教史の千数百年の流れのなかで、門流形態から宗派形態への転換をうながす、その出発点をなしたのが蓮如であったからである。(p.197f)
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