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梅原猛『梅原猛著作集〈10〉 法然の哀しみ』

梅原猛著作集〈10〉法然の哀しみ梅原猛著作集〈10〉法然の哀しみ
(2000/10)
梅原 猛

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およそ700ページに及ぶ大きな本。口述筆記の形を取っているので、そうでない他の多くの本と文体や論理の進め方で違いがある。同じ論点が繰り返し出てきたり、話の脱線があったりするので人によっては読みにくさを覚えるかもしれない。

鎌倉時代の仏教僧である法然房源空について書かれた本で、彼の伝記的事項から、浄土宗を生み出すきっかけとなった善導の『観経疏』読解の跡付け、主著『選択本願念仏集』について、法然の弟子たちについて、そして特に親鸞の思想について、最後は悪と二種廻向を巡って現代の浄土宗への批判をもって終わる。どれも口述筆記とは思えない濃密な議論だ。そして時には謎解きにも似た記述で事実審理をする箇所や通説に反する結論を導く。こうしたところはこの著者ならではだろう。

鎌倉時代とは日本仏教の黄金期であり、この時期には既存の仏教界の権威が失墜していくなか、仏教典の原典に戻ろうとする動きが起こる。法然はその運動の主たる人物であり、いわばキリスト教の宗教改革におけるルターに相当する(p.30)。「法然は、日本の宗教的霊性が火のように燃えた時代である鎌倉時代に、最初の宗教改革の火の手をあげた仏教者」(p.33)なのだ。平安末期は戦乱、飢饉、地震などが頻発した。平家のような権力階級ですらどうなるか分からない。このなかでこの世に対する執着を捨て、もっばらあの世を頼む法然の教えが浸透していったのだ(p.176ff)。とはいえ同時期の仏教者というと、どちらかと言うと親鸞のほうが人気がある。これは煩悩が多く、性欲に翻弄され、人間くさい親鸞に比べて、法然は愛すべき欠点を持たない人格者ゆえ流行らない(p.37, 68-73)。しかしそうだとしても法然を仏教へ駆り立てものは何なのか。ここに本書のタイトル「法然の哀しみ」が意味を持つ。著者によれば、聖者・清僧としての法然の神格化が、彼が抱える哀しみを見えなくさせている(p.151)。

本書に関する著者の大きな独創性はこの法然の哀しみの特定にある。四十八巻伝という書物に基づく通説では、法然の出家の動機は父親である時国を殺されたことへの弔いである。しかし著者は『醍醐本 法然上人伝記』に基づき、法然の出家を父親の死去より前に推定する。父・時国は押領使という令外の官であり、地方警察として一国の治安維持に当たっていた。律令制の崩壊期に当たる平安末期は、様々な勢力や権力抗争が多発し、押領使もそうした争いに巻き込まれる。律令制度崩壊の中で血で血を洗うようになった押領使という父の職業から逃れさせるため、法然を出家させたというのが著者の見立てである(p.124ff)。1147年、15歳の法然は父親はやがて権力抗争に巻き込まれ暗殺されるだろう、二度と会えないだろうという思いの中、比叡山へ向かった。

比叡山で叡空の弟子となった法然は『往生要集』の研究から仏教に入るが、師と対立して比叡山を降りる。そして善導の『観経疏』の研究から専修念仏の思想を編み出していく。著者は善導の『観経疏』『無量寿経』『観無量寿経』とその法然の読解を比較しつつ、法然の読み替え作業を解きほぐしていく。ここは仏教典の細部に踏み込んだ議論になっているが、かなりスリリングである。法然は、善導の記述をあくまでまじめに解釈して、極楽往生の門は口称念仏に限られるという自己の思想を積みかねていく。詩人たる善導に対し、あくまで論理的な哲学者たる法然という対比は的確だ(p.256)。こうして形成される法然の思想は実に見事である。法然の著書といえば『選択本願念仏集』であるが、著者はここには女人往生、悪人往生、二種廻向などのテーマが落ちており、むしろ『無量寿経釈』を裏の主著と捉え(p.277)、以下のように述べる。
私はそれ【『無量寿経釈』】を読んで、法然独自の論理のみごとな展開に舌を巻いた。口称念仏を救いの根底におくというのは、法然の大胆な仮説にちがいない。しかし、その仮説にもとづいて、彼はみごとにひとつの思想体系を構成した。それによって釈迦と阿弥陀の存在の意味が明らかになり、全仏教が聖道と浄土の二門に分かたれ、しかも浄土教の優位が高らかに宣せられる。そして、その専修念仏の理論によって彼は、『無量寿経』ばかりか、『阿弥陀経』『観無量寿経』をも、みごとに首尾一貫した論理で解明する。つまり彼はもっともたしかなものであると思われる口称念仏の立場に立って、すべての経典を解釈して、そこにみごとな論理的体系を構成したのである。日本人にして自らの論理を信じてそのような独創的な思想体系を立てたような人は、法然以外には見つけられないのではないか。(p.291f)


法然は冷徹な論理の持ち主だが、時折見せる感情のほとばしりがまた面白い。例えば女性もまた往生できるという女人往生の願についての記述は珍しく感情的である(p.292-295)。悪人往生もそうだが、こうした既存の仏教がアプローチできなかった層にまで考察を延ばしたのが、浄土宗の普及した一つの要因だ。

法然のまるでハイデガーのギリシャ哲学読解のような読み替え作業、法然による善導解釈という「故意の誤り」(p.486)は当然、既存の解釈者の反発を生む。解脱房貞慶による興福寺奏状がその代表である。貞慶による批判はたしかに、法然の理論が善導に従っていないという真実をついている。しかしもちろん、法然が万人を救うという慈悲の心から善導を読み替えなければならなかったことを理解していない。貞慶の法相宗は仏性を持たない人間を認めている。人にはそれぞれ現世で身分があるように、極楽にも上品上生から下品下生まであってそれぞれどの極楽に往生できるか決まっている。救いは平等ではないのである。一方、法然によれば釈迦も阿弥陀も平等の慈悲を持っていて、現世でどのような生を送ろうとも平等に極楽に往生できる(p.478-486)。万人を救うという阿弥陀仏の慈悲に法然は忠実なのだ(p.641f)。これは徳一と最澄の論争の再現である(p.485)。

既存の仏教界からの攻撃は安楽・住蓮事件にいたり、法然及びその弟子たちの流罪という事件に至る。本書の独創性の発揮されるもう一つの箇所は、この安楽・住蓮事件の黒幕の推定である。ここの著者の記述はまるで推理小説における刑事の犯人推定のようだ。著者が推定するのは意外な人物である。それは『愚管抄』の著者たる慈円だ。著者は慈円が安楽・住蓮事件の裏の主役であり、画策をして法然たちを流罪に追い込んだとする(表の主役は後鳥羽上皇)。慈円は法然とも親しく法然を尊敬しており、法然のパトロンであった九条兼実の同母弟である(p.512)。著者はその慈円の裏の顔を推定し、和歌の中に九条兼実との確執を読み解いていく。ここにさらに元々は慈円の弟子でありながら、法然に鞍替えした親鸞への憤りと法然への嫉妬を読み込んでいる(p.526f, 532)。この推定の成否はともかく、本書のクライマックスとも言える面白い箇所である(p.510-540)。

法然の弟子それぞれについての記述、そして主たる弟子の親鸞については『教行信証』『歎異抄』を読み込んで法然の思想との比較を行っている。最後に来るのが現代の浄土宗、すなわち近代真宗学への批判である。ここは法然をあまりに高く見るがゆえ、著者の批判に納得できない点が残った。著者は、近代真宗学は二種廻向説は非科学的で近代人の理性になじまないとして排除し、悪人正機説だけを取り込んだと述べている(p.604-607)。しかしそもそも近代人の理性になじまないとすれば往生という思想そのものである。往生した後にまた現世に帰ってくるという還相回向に限らない。しかも悪人正機説を額面に捉えて、悪行に対する懺悔の話に縮小するのは近代真宗学に限らない。それは法然の法難に対してもあった話だろう。また、著者は二種廻向の説には魂の不死が結びついていると言う。とすると還相回向の説を持たないキリスト教での魂の不死の問題はどうなるのか。また生物学的には遺伝子は半分が子孫に遺伝するのだから、「個人は死んでも、遺伝子は子から孫へ、孫から曾孫へと受け継がれて、生きつづけているといわねばならない。遺伝子を魂におきかえれば、まさに魂は不死であるといわざるをえない」(p.630)と書くが、これは滑稽だ。個人は子孫を残さなければ魂は死んだということか。血筋がすべて途絶えた時に、その血筋につながる個人の魂は一斉に死ぬのか。

ともあれ、近代真宗学が還相回向の話を忘却してしまい、結果として利他の心を失っているという論点は重要だ。還相回向は一度往生した人間はそのまま極楽に滞在するのではなくて、もう一度現世に戻ってくるのだ。それは何のためなのかといえば、まだ往生していない人間を救いに行くという利他の精神にある。阿弥陀仏の本願はこの利他の精神にあるのだから、それこそ浄土宗の根本なのである。
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