Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/544-92f6ceaa

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

榎本渉『選書日本中世史 4 僧侶と海商たちの東シナ海』

選書日本中世史 4 僧侶と海商たちの東シナ海 (講談社選書メチエ)選書日本中世史 4 僧侶と海商たちの東シナ海 (講談社選書メチエ)
(2010/10/08)
榎本 渉

商品詳細を見る

奈良時代から室町時代にかけてどんな仏教僧がどのように中国に渡来したのかを追った本。著者も言うように地味な研究で、当初書いていたのは「われながらつまらなすぎたので一切を破棄して、一から始めた」(p.242)。

話題が地味で興味を惹かないこともあるが、焦点がよく分からない。仏教僧の渡来をひたすら追っているが、それは日中仏教交流を跡づける目的ではない。本書には中国のどんな宗派に日本のどんな宗派が影響を受けた、などの仏教史に当たる話題はあまり出てこない。仏教僧の渡来は国家事業であり、行政の許可が必要なことが多かったが、そうした国家貿易史を描いているものでもない。遣唐使や遣明船などの国家事業の他に、民間の様々な交易(「海商」による交易)があったが、そうした民間貿易を跡づけようとしたものでもない。まして「東シナ海」というのを歴史上の一単位と見ようとしているが、その割には「国籍」に関係なく活動した、倭寇などの存在に光が当たるわけでもない。民間貿易はあまり記録に残らないのが、僧侶たちは海商の船で中国へ行き来していたので、僧侶たちの動きを見ることによって民間貿易の状態が分かると書かれている(p.22-25)が、そこは焦点ではない。著者は一貫して、どんな僧がどんな手段で中国へ渡ったのかを追っている。その動機が共有できなかった。

出だしはけっこう面白い。894年の遣唐使廃止は歴史教育上も一大トピックとされ、これ以降日本は唐の大きな影響から脱して国風文化が成立したと語られる。だが、遣唐使は必要なくなったから廃止されたのだ。つまり、894年の遣唐使廃止は国交断絶のような大事件ではなく、海商を初めとする民間交易が盛んになって不要になったからなのである(p.14-17)。仏教交流はむしろ、遣唐使が廃止されたから盛んになった(p.73)。

こうした民間交易の興りに寄与しているのが新羅の海商だ。特に810年以降、新羅は大飢饉に見まわれ多くの人が朝鮮半島の外で活動するようになった(p.41ff)。東シナ海を歴史的舞台として成立させたのは彼ら新羅の海商である。遣唐使は東シナ海を直行する航路を使っていたが、この航路は目印になるランドマークや補給地もない(済州島くらい)。そこで朝鮮半島沿岸に沿って行く航路が主となっていた。飢饉による新羅の混乱により沿岸ルートは避けられ、東シナ海の直行航路が主たるものとして成立する(p.59f)。

さて仏教僧の渡来は基本的に国家の支援を必要とした。それは国家が勅許によって保証する正式な留学生としての渡来でもあり、財政的支援でもある(海外奨学金)。ということで9世紀末以降、国家財政が苦しくなってくると渡来僧は減少する(p.87f)。だとしても仏教僧の渡来への情熱が突然消えるわけではない。仏教の本場である中国へ渡って学びたいという思いを抱く僧は多かっただろう。そこで勅許を持たずに密航する僧が現れる。1072年、成尋の密航成功以降、勅許をもたない渡来僧が増える(p.111f)。この渡来を支えたのが民間交易であったことは言うまでもない。

平安時代の民間交易は国家によって管理されていた。それを行っていたのが大宰府(現在の太宰府)だ。しかし平安時代末期になり国家統制が緩むと大宰府による貿易管理能力は衰退し、交易は自由になる。これにより宋の文化は博多など九州北部に限定されず、全国へ一気に広まっていった(p.138ff)。自由な交易と鎌倉仏教の興隆により、日宋貿易による渡来僧は多く存在した。著者が何度か記しているが、日宋仏教界の交流は海商の拠点に限定されていたことは重要だと感じた。交流相手は明州の天台宗山家派が中心だったのだ。それは中国仏教の主流とは限らない。海商による貿易地点の近辺の仏教が日本にはアクセス可能なものであって、日本仏教への影響はそうした仏教が中心だったのである(p.105-109)。だがこうした日宋貿易は宋から元への中国王朝の移行と、現行に備えた鎌倉幕府の西国掌握によって衰退する。それにより、渡来僧も激減した(p.162-165)。

元寇の後、日元貿易は存在したが元末期の混乱が深まるにつれ衰退。明は倭寇を恐れた洪武帝の施策により貿易は限られており、渡来僧も少ない(p.215ff)。足利義満が遣明船で日明貿易を始めるものの以前のような隆盛はなく、日明貿易で渡来した僧も宋・元時代の留学に比べて旅行レベルのものであった。ここに日中仏教交流は終わることになる(p.228-231)。日明仏教界には深い交流はなく、それぞれは別の道を歩むことになったのだった。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/544-92f6ceaa

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。