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坂部恵『ヨーロッパ精神史入門』

ヨーロッパ精神史入門―カロリング・ルネサンスの残光ヨーロッパ精神史入門―カロリング・ルネサンスの残光
(1997/05)
坂部 恵

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素晴らしい本だ。読み進むにつれ、驚きの連続だった。こういう本を読むと、自分の視野がいかに狭いかが思い知らされる。
講演調であり、あまり詳述はされない。例えば一つのテーマを取り上げてもっと詳述してほしかった。いまはそれも叶わない。日本の思想界にとって大きな損失だ。故人の冥福を祈る。

amazonに読書記掲載。
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稀有な名著。素晴らしい本だ。中世以降の西洋哲学の歴史を、独自の視点から論じたもの。講義調であるため読みやすい。しかし内容は恐ろしいほど深い。物事を考えるための多くのヒントが詰まっている。

著者は、まず中世・ルネッサンス・近世・現代というありがちな時代区分を廃す。著者によれば、時代の切れ目は14世紀、18世紀末/19世紀初頭、そして1960年以降にある。これら時代の特徴をなす思考は何か。時代の切れ目をもたらすものは何か。このことを、著者は膨大な学知を背景として語っていく。基本的には哲学思想を論じるが、文学(ホイットマン、ボードレール、T.E.ヒューム)なども論じられている。

基調となっているのは、中世の普遍論争である。普遍論争は「個体」を巡るもの。個体を確定せず、汲み尽くせないものと考えるスコトゥス派と、個体は確定したアトムであるとするオッカム派。著者はパースを引きつつ、オッカム派の勝利は偶然の情勢であったと述べる。しかし、オッカム派の個体論はその後の時代を支配している。民主主義や資本主義、また近代的な自然科学像は基本的にこのオッカムの遺産の上にあるのだ。

しかしスコトゥス的な個体論は消失したのではない。それは底流として、その後の時代にも流れていた。そもそもこの個体論が捉える個体は、アヴィケンナ的な共通本性を備え、世界を映し出す(つまりライプニッツ的な!)。この個体論は、神秘主義的思想などのなかに流れてきた。オッカム的な個体論の陰に隠れたとはいえ、現代でもオッカム的な個体論へのアンチテーゼとして現れるものだ。例えば、社会を孤立した個人からなると見るリベラリズムと、文化や伝統を担うものとして考えるコミュニタリアニズムの対立など。

さらに印象的なのは、悟性・知性intellectus、理性ratio、感性sensusの序列について。元々、intellectus - ratio - sensusという序列だったこれらの概念は、カントにおいて明示的にratio - intellectus - sensusという序列となる。この知性の凋落は、オッカム的個体論の下でアリストテレス的な能動知性の位置が引き下げられたことによる。そして、この能動知性が退いた空白を埋めたのが、カントの構想力imaginatioだったのだ。この知性と理性の逆転こそ、ヨーロッパ精神史上の破滅的な事態だったのだ、と著者は見ている。

この本は、読者のレベルや関心に合わせて様々な言葉を語るだろう。内容をしっかり理解するには、通常の哲学史の理解は必須である。通常の流れを知っていれば、その底流にある別の流れがここまで明らかに語られていることに驚きを覚えるだろう。そして、現代を規定している様々な思想を相対化して考える視点を得ることができる。講義調であるため、各テーマについて詳述はされない。引用文献も原典にほぼ限られている。個々のテーマについてもっと詳しい議論が知りたいところだ。だが、著者にそれを求めるのはもう叶わない。むしろそれは、著者の弟子筋に当たる人たちが行っている。本書を読んで感じたのは、現在の哲学界における一線の研究者たちに、この著者の視点がそれこそ底流のように流れていることだった。
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