Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/552-f4619c7a

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

本郷和人『天皇はなぜ万世一系なのか』

天皇はなぜ万世一系なのか (文春新書)天皇はなぜ万世一系なのか (文春新書)
(2010/11)
本郷 和人

商品詳細を見る

「はじめに」の軽い調子で不安になったが、どうもこの人の書くものは自分には合わないようだ。この本は歴史研究の息遣いを伝えるよりは、軽いタッチで書かれている。ときおり読者の興味をひこうとするような小ネタや脱線があって自分にはどうも読みにくい。タイトルからは天皇と万世一系について書かれていると思われるが、それは違う。万世一系の話は最後のわずかな部分にしか顔を出さない。タイトルから予想される、天皇家が様々な消滅の危機をどう乗り越えてきたのか、つまり記紀神話や中大兄皇子のクーデター、南北朝動乱や戦国時代、天皇家の政治権威が失われた江戸時代や終戦後などといった歴史上のターニングポイントがどうだったのか、こうした問いについて答える本ではない。

では何について書かれているかというと、日本の政治世界が人を評価する際に何を基準としてきたか、権威の源泉についてである。日本は律令制を古代中国から取り入れたが、科挙制度を取り入れなかったので、実力や才能を重んじる風土が根付かなかった。それゆえ朝廷は新しいもので否定されることがなく、古いものが権威を持った(p.30f)。ここでいう古いものの権威とは、いかに古い権威につながっているか、すなわち名門の出であるかを意味する。著者はこうした家柄によって評価される中世の世界にも、中世の東寺に才能を抜擢する例があると出す(p.38f)が、これはかなり下級クラスのわずかな例外で説得力には乏しい。

後は科挙なき貴族の世界における世襲制(p.62)やそれに応じた身分制の分類(p.87)の話が長く続く。ついで鎌倉時代・室町時代においての権威の源泉について、才能、徳、奉仕、世襲という様々な価値観が取り上げられている(p.92-122)。本書のハイライトとなるのはここだろう。家柄が下のほうであっても才能ある人物を徴用すべきだとする九条道家、才能よりも徳ある人物を重んじるべきとする徳大寺実基、臣下たる以上は君主への奉公に篤い人間を重んじる伏見天皇、そして、徳や才能は必要だがあくまでも基本は世襲だとする北畠親房の見解が取り上げられる。そして万世一系という言葉はこの北畠親房の世襲重視の文脈で一度現れている。北畠親房は世襲を重んじ、万世一系たることで天皇家の正当化を試みた。だが、徳がない君主を世襲だけで正当化することはできず、万世一系と有徳の間で見解は揺れ動いている(p.118-122)。

ところで北畠親房は万世一系をもって天皇家を正当化しようとしたが、それはほぼ彼にのみある議論であって、中世には多様な見解がある。著者は吉田定房を取り上げている。彼によれば、天皇は万世一系だからこそダメなのだと。君主は新しい血筋を取り入れ、新しい見解を取り入れることによって権威と権力を維持できる。万世一系では一度落ちてしまった権威を復興することはできないのだと(p.193f)。万世一系だからこそダメなのだという見解は傾聴に値する。

以上は朝廷貴族の話だが、武家でも考え方は同じである。ポイントは以上の家柄、世襲という概念は血縁を意味していないことだ。それを著者は天皇や将軍、上級貴族の落胤としての家柄の権威付けという例に見ている(p.149-152)。ではいつから血縁を重んじる世襲制に変わっていくのかというと、著者は意外にも徳川将軍家の大奥制度にそれを見ている。中国王朝は宦官制度があったことからも分かるように、家柄だけでなく血も重んじていた。大奥が男子禁制だったことは、異なる血筋の混入を防ごうとしていたことを意味している。朝廷にこうした考えはなかった(天皇は複数の妾を娶ることはあれど、そうした女性は一人の天皇とのみ交渉するわけではなく、天皇の大奥はない)。こうした将軍家の大奥における思想が中国王朝の考えを重んじた儒学、国学の隆盛とともになって、万世一系という血のつながりを重視する明治時代以降の天皇観を生み出したと著者は見ている(p.177-191)。

こう考えれば天皇家は特にもともと万世一系を重んじて血縁を維持してきたわけではなく、万世一系であることは偶然にすぎない。初めから万世一系だったのではなく、結果として万世一系であったにすぎない(p.195f)。ここからどういう結論を見出すかは自由で、たとえば女系天皇に対する著者の書き方はあくまでニュートラルと言っていいだろうか。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/552-f4619c7a

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。