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大貫隆『グノーシスの神話』

グノーシスの神話グノーシスの神話
(1999/01/27)
大貫 隆

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グノーシス主義について書かれた本。グノーシス主義は2世紀前後にメソポタミアを中心として存在した宗教思想。善悪原理が根源的に存在するとする東方グノーシス主義と、善の原理を中心に語る西方グノーシス主義に分かれている。このグノーシス主義の研究は1950年台にナグ・ハマディ文書の研究が進むにつれて大きく進展した。本書は概説の文章とともに、実際の文献を訳すことにより、雰囲気を伝えようとしている。取り上げられているのはナグ・ハマディ文書、マンダ教の経典、マニ教の経典の三つ。

グノーシス主義が流行したのは主に、ヘレニズム時代の地中海・オリエントの都市部だった。この地域ではローマ帝国の強力な支配が顕著であり、グノーシス主義はその中で同一性を失いつつあった知識人層に流行した(p.35)。いきおい、その思想はローマ帝国の宗教たるキリスト教と対立関係にあり、お互いに影響を与える位置にあったことが伺える。

グノーシス主義の最大の特徴は、人間の住む世界、神的世界から区別される可視的世界を「過失」、悪いものと捉えることだろう。神的世界は完全なシンメトリーであるが、そこに知恵(ソフィア)の過失により可視的世界が生まれる(知恵の実を食べて楽園を追放されるアダムとエバの神話に類比的)。キリスト教思想や新プラトン主義では可視的世界は神の創った「善きもの」であったり、神的なものから流出したものである。しかしグノーシス主義によればこの世界は過失の産物、「神的領域から断絶された悪の領域」(p.77)である。死とはつまり、この世界からの解放であり善なる世界を取り戻すことになる。

造物神による可視的世界の創造について、グノーシス主義は独自の解釈をしている。プラトン主義のデミウルゴス論であれ、キリスト教の天地創造論であれ可視的世界は神の創りし「最良の制作物」であるが、グノーシス主義についてはそうではない。神の唯一性についても同様だ。グノーシス主義によれば、ユダヤ教、あるいはキリスト教に現れる神の唯一性は無知の産物である。造物神は自らの唯一性を主張するが、それは造物神が愚かであり、無知だからであり、思い上がっているからに過ぎない(p.101f)。この世界は愚かな造物神による企みの拡大である。ユダヤ教、キリスト教が「産めよ増やせよ」と讃えた生殖についても、グノーシス主義からすればそれは、神的領域から霊的本質を奪い取ってきた造物神が、その回収を困難にするために拡散させる企みなのである(p.130)。

ナグ・ハマディ文書のみならず、マンダ教という、いまでもイラクとイランに2000人ほど信徒が存在する宗教でも同様の思想がみられる。そもそもmandaとはマンダ語で「知識」「認識」、つまりグノーシスを意味している(p.183)。マンダ教においても人間の魂は肉体の中に囚われた囚人のような存在であり、死とは魂が解放されて光の世界へ帰る、救済の出来事として捉えられている(p.228)。ここでもユダヤ教・キリスト教的価値観の転回は興味を引くもので、例えばマンダ教での闇の世界の王は「ウル」と呼ばれるが、これはおそらくヘブライ語で光を意味する「オール」の転用である。マンダ教で闇の世界のもっとも影響力の大きい女性的存在は「ルーハー」と呼ばれるが、これは旧約聖書において息、風、神の霊を意味する「ルーアッハ」に等価である。つまり、「旧約聖書では積極的な意味で神に関係づけられている単語が、マンダ教では悪の原理とされているわけである」(p.204)。

さて結びではグノーシス主義と現代の関わりが書かれている。現代日本の世相(売春をする女子高生の世界観)とグノーシス主義、特にマニ教との関連(停滞した世界、終わりなき日常を拒否し、逃避すること)はともかくとして、グノーシス主義がキリスト教思想に対して「悪の問題」を突きつけたことは確かである(p.285)。この問題は特に、アウグスティヌスのマニ教からの転向によって持ち込まれている。グノーシス主義によると人間は神に由来するものであり、したがって人間の本来の自己は神であるから、グノーシス主義は絶対的人間中心主義であると著者は位置づけ、現代はグノーシス主義の時代であると語る(p.300f)。しかしグノーシス主義は可視的世界を悪とみなし、死による救済を説くために、現実世界がもたらす課題に対処する姿勢をもたらさない。この意味で、キリスト教が古代のグノーシス主義を超克しようとした試みは、現代の思想の論点としても甦るのだ。
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