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ナシーム・タレブ『ブラック・スワン[上]』

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質
(2009/06/19)
ナシーム・ニコラス・タレブ

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ブラック・スワン、通常の確率の考えからは漏れてしまうような事象についてのエッセイ。ブラック・スワンは次の三つによって特徴付けられている(p.4)。(1)その事象が起きるより前には予測不可能であること。(2)起こってしまった際には影響が重大であること。(3)その事象がなぜ起こったのか、事後に説明可能であること(その説明が正しいかどうかは別として)。

著者はブラック・スワンを事前に見えなくしてしまう我々の認知的バイアスについて語り、また事後にブラック・スワンの説明を求めてしまう我々の認知的性向を語る。これらを著者は、追認バイアスと講釈の誤りとして特徴付けている(p.161)。様々な判断において我々は推測を行うが、早々に一つの推測に絞りがちである(「トンネル化」すると言われている)。このとき、その推測に対して我々は証拠となるものに注目しがちであって、反証する事象には目を向けない。その推測が正しいかどうかが分かるのは、証拠がいくつあるかではなくて、反証するものが無いかどうかのはずだ。証明と反証を取り違えることが追認バイアスと呼ばれる目立つものと実証されたものを区別することが重要である(p.241)。また、過去に起こった事象について、我々はすぐにうまくいくような説明を見出してしまう。成功者の話などがこの典型である。これが講釈の誤りと呼ばれる。私たちは後ろを振り返るときに優れた性能を発揮する機械なのである(p.42)。

著者が主張しているのはブラック・スワンを重要視して、従来の(「月並みの国」の)分析や判断を放棄することではない。リスクを取ることそのものを否定しているのではなく、何も知らずに取ることを諌めている(p.213)のである。管理されたベル・カーブの世界で判断された確率で済むわけではない。これは「お遊びの誤り」(p.232f)と呼ばれている。視野の狭いハリネズミから頭の開かれたキツネになることを語っている(p.274f)。とはいえ、過去のデータに基づく統計分析に依拠しているような判断を嗤う著者の姿勢は、そんな分析などすべて捨ててしまえと述べているように見える。おそらく、我々が思うほど、過去のデータに基づく分析が通用しない領域(「最果ての国」)は広いということだ。

ただし、本書はエッセイであって厳密性を求めた論文ではない。著者も認めるように、この本は物語であって矛盾が多い(p.20)。著者がブラック・スワンと言う事象についても一貫性があるとは思えない。その辺りが自分にはやや読みにくい。ひとつ言えば、著者は講釈の誤りをはじめとして、ブラック・スワンを見えなくする我々の認知的システムは、カーネマンのシステム1によると述べている(p.159)。だが月並みの国の統計的事実は、システム1には馴染みのないものだ。3つのサイコロを振って425と出た時よりも、111と出た時のほうが何か特別な感じがする。統計的には同等の事象だが、システム1はここに意味を読み込んでしまう。月並みの国のなかに、統計的事実とヒューリスティックな疑似因果的事項を分けるべきだ。また、確かに直観的にブラック・スワンを排除してしまうのはシステム1だろうが、講釈の誤りはシステム2にも原因が大きいように思われる。システム2こそ、原因と結果の枠組で説明を求めるものだ。平均への回帰(Regression to mean)はシステム2にも対処しづらいものだとカーネマンも書いていた。システム2をうまく使えばブラック・スワンを考慮できるのだろうが。

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