Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/566-8b4053d5

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

フリーク・ヴァーミューレン『ヤバい経営学』

ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実ヤバい経営学: 世界のビジネスで行われている不都合な真実
(2013/03/01)
フリーク ヴァーミューレン

商品詳細を見る

別に裸だって構わないのだ(むしろ王冠があるから王様はよけいにおかしく見えるのだが)。ビジネスの世界では、そのままの姿を見せても良い。ときにはそれが馬鹿らしく見えたり、うまくかないこともあるだろう。しかし、まずは裸であることを認めよう。そうすれば、風邪をひく前に何かを変えられるかもしれない。(p.294)

原題を訳せば『ビジネス暴露話 ビジネスの世界で本当に起こっている裸の事実』とでもなるか。従来の経営学やビジネスコンサルタントなどが述べてきて、なかば常識的ともなっているような見解について、改めて疑問に付し裸の事実を明らかにしようとする本。軽妙なタッチで面白おかしく書かれているが、実際はかなりしっかりしたデータに基づいて議論を行っている。その書きぶりには反感を覚える人も多いだろうが、中身はしっかりしたものだ。

本書は、著者が経営学の学者として、あたかも動物学者がゴリラの行動を調査するように経営者の行動を調査して、何が本当に起こっているのかを掴もうとしている(p.5)。その結果示されるのは、予想通りだが王様は裸だということだ。とはいえ、単に暴露話をして終わるような本でもない。ビジネスにおいてどうすべきなのか、量は少ないけれども書かれている。

記述は個々のトピックについてバラバラに書かれているので、それぞれの章や節ごとに切り離して読める。とはいえ、全体を通して鍵となるのは、「集団慣性」と呼ばれているものだ。これは「他の人がやっていることをなんとなく真似してしまう」(p.11)という人間の習性である。結局はこの集団慣性が、実際には効果が無い、あるいは有害にもかかわらず、かくも多くの経営者が取り入れている理由となる。例えば製薬会社は新薬研究よりもMR活動によるマーケティングに多くの金を費やしている。ところが調査によると、MRは新薬が医者に採用されるまでに平均26回分の無料サンプルを配っている。これが効果的なマーケテイング活動と呼べるだろうか。プロスペクト理論を思い浮かべれば明らかな通り、人は利益よりも損失を大きく見るから、他社がMR活動のあり方を変えていないのに、万が一の失敗のリスクのなか自社が変える動機はない(p.13ff.)。こうして集団慣性が働く。もちろん、ここには新しい発想によるイノベーションの余地があり、100年以上の集団慣性を打ち破って新聞を小型化したイギリスの『メトロ』の例もある(p.11f)。経営とは前のよく見えない霧の中のドライブのようなものだから、前の車がブレーキをかけたときに衝突しないくらいの車間距離を保ちながら、テールランプを見ながらついていくのである(p.222ff)。

他に印象的なのは経営者の過大評価である。ビジネスの世界は名声の世界でもあるので、こうした過大評価は(自己評価であれ他己評価であれ)よくあるものだ。データで見ると、ほとんどの企業買収は価値を産まない。企業買収はそれにきちんと見合う価格で行われることは少ない。被買収企業の株価に対するプレミアムの大きさと、買収企業の経営者がメディアで賞賛されているかどうかの間には相関がある。ここから、高いプレミアムは経営者のうぬぼれから来るのではないかと著者は仮定をしている(p.95ff)。また、1960年代には事業の多角化とコングロマリットが流行ったが、1990年代になるとコア事業への集中として会社分割が盛んになった。ここに著者は証券アナリストの影を見ている。というのも、証券アナリストは通常、業界によって専門が分かれている。したがって業界を大きくまたがる多角化経営をしている企業は、アナリストのカバーから外れてしまう。その結果、事業戦略は理解されないし、株価は低い値段で放置される。つまり、証券アナリストが理解しやすいように会社の分割が行われているフシがあるのだ(p.135-138)。

また、報酬委員会があまり機能していないという指摘も印象的だ。報酬委員会は経営者の報酬について、恣意的でない客観的な判断をするためにある。だが調査によれば、報酬比較のサンプルとして使われる他の企業の抽出に恣意性がある。つまり業績がパッとしない企業を比較対象に選ぶことによって、自社の業績がそんなに悪くなく報酬を削減する必要がないという結論を導いているのである(p.163-166)。経営者の報酬を言えば、新しい経営手法と経営者の報酬の間に関連がある。つまり、「経営者がはやりの経営手法を導入すると、経営者の報酬が増えていたのだ」(p.190)。一方、はやりの経営手法とその手法の導入企業の業績の間には相関関係が無い、あるいはマイナスの関係があり、流行りの経営手法は何の役にも立たない。流行りの経営手法と言われているのはTQM、ISO9000、シックスシグマ、BPR等々、経営書でお馴染みのものだ。こうした経営手法は企業から企業へ伝播する(この伝播に大きく寄与するのが集団慣性である)。しかも経営手法の企業業績への貢献は少ないというよりも、むしろ企業業績を圧迫して企業の体力を奪う。こうした性格から、著者は流行りの経営手法をウィルスにたとえている(p.198)。そしてマラリア原虫を媒介する蚊のように、こうしたウィルスの媒介者となっているのが、経営コンサルタントである(p.200f)。
[...]流行りの経営手法の多くは意味がない[...]。しかし、こういう手法を導入する経営者は、革新的で適任だと他人の目には映る。それは、「最も尊敬される企業」に投票してくれる経営者仲間だけではなく、なんと自分の会社の取締役にも効果がある。取締役会は、経営者を祝福し実績を褒め称え、経営者の報酬額を引き上げるのだ。(p.190)

さて、こうしたさして効果もないのに集団慣性によって蝕まれている例を見ると、この集団慣性を打ち破るところに勝機があるように見える。最近流行りのイノベーションである。著者もイノベーションについて注目しており、本書にはイノベーションの役割が大きく出てくる。だが、結局はそれも運である。統計結果からは、イノベーションを起こす革新的な会社が「いい会社」であるという事実はない。イノベーションを起こす会社は、成長が他社より遅れているし、平均的な生存率も低い。おまけに分散を考慮してもそうだ。つまり統計的には暗い結果しかない。
結局のところ、本当に会社はイノベーションを起こすべきではないのだろうか。組織的には、同じことをずっとやり続け、新しいものを始めようとしたりしなければ(そして辛抱強く他人の真似をするチャンスを待てば)、うまくいく可能性も上がる。そして、リスクも少なくなる。
しかし、本当にそうだとしたら、あまり真実を人に言わないほうがよいだろう。イノベーションは確かに大事なものだし、社会的にも必要だ。誰もが会社はイノベーションがない方がうまくいくと知ったら、誰も新しいことを始めようとしないだろう。だから、この話はみんなと私の間だけの秘密にしておこう。約束だ。(p.228)

とはいえ、集団慣性を打ち破るイノベーションは重要である。この辺り、著者は苦労しているようにみえる。ビジネスの様々な常識はデータ上支持されないと喝破しつつ、イノベーションについてはデータ上支持されなくてもこだわっている。革新的な戦略は合理的に生み出されるものではない。後からの結果説明はつくにしろ、とても論理的プロセスによる戦略立案とは言えない(p.40ff)。経営戦略上の様々な数字は戦略の思いも寄らなかった事実を明らかにすることはあるが、戦略は数字から導出できるものではない。最後は直感と感覚に基づくべきだ(p.23f)。イノベーションにとって重要なのは、イノベーションを利益を得る手段ではなく、イノベーションを行うために利益を得るようにすること(p.232ff)、イノベーションを目的とした会社体制とすること。頻繁な組織構造の変更もよいことだ(p.251-258)。こうした考えからすれば、不況時にはコストの削減よりも売り上げを確保し、うち手を増やし、イノベーションを起こすこととなるだろう(p.63-71)。こうした論点は、楠木建『ストーリーとしての競争戦略』との近さも感じる。実際、経営者の役割は一貫した語るべきストーリーを持つことだといった指摘も見える(p.116ff)。

データに基づく議論を行っているとしても、こうした調査結果はそうした調査結果もある、といったところだろう。とはいえ、流行に流されがちな経営学の議論を相対化して、自分の頭で考える視点を持つには、読みやすく啓発的でとても良い本だ。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/566-8b4053d5

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。