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森茂暁『室町幕府崩壊』

室町幕府崩壊  将軍義教の野望と挫折 (角川選書)室町幕府崩壊 将軍義教の野望と挫折 (角川選書)
(2011/10/25)
森 茂暁

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室町幕府の第6代将軍である足利義教(1394-1441)を扱った書物。この人物は当初は出家して僧侶となっていたが、前代将軍の足利義持の死去を受け、何と石清水八幡宮でのクジ引きで後継の将軍に選出された。慌ただしく還俗、元服、将軍就任したが、そんな経緯では権力基盤が脆弱なのは容易に想像が付く。そこで足利義教は、意に沿わない者たちの領主を没収したり、理由をつけて討ったりする恐怖政治を敷いたと言われる。本書はそのような足利義教の恐怖政治的な権力基盤の成立、そしてその結果としての赤松満祐による弑逆(嘉吉の乱)に至る足取りをたどったもの。

足利義教をたどる前に、本書は足利義持について語っている。特に、足利義満の残した膨大な権力基盤の上に、足利義持が何を継承し、何を継承しなかったかが書かれている。一言でいえば、足利義持は足利義満の時代から続く気骨ある家臣たちに支えられていた。管領の斯波義将、畠山満家など。しかし、称光天皇の迭立に反対する後南朝勢力に与するものがいたり、上杉禅秀の乱への対処での内紛など、その権力基盤は脆弱だった(p.47)。こうした脆弱な権力基盤は、より弱体化した形で足利義教に受け継がれていった。

著者は足利義教の権力基盤の確立の道のりを、家臣たちに対してのみならず、様々な観点で検討している。南朝皇胤の断絶を含む公家・朝廷に対するもの、僧侶時代に天台座主であった人脈を活かした寺社勢力に対するもの、永享の乱・結城合戦における鎌倉公方に対するものなど。なかでも、後花園天皇の迭立に当たっては、足利義教は積極的にリーダーシップを発揮し、自身の権力を印象付けようとしている(p.112ff)。着目点の面白さとしては、文芸が権力基盤の維持に果たした役割が挙げられよう(p.156-162)。連歌会や勅撰和歌集の撰修に当たって、誰を会のメンバーに加え、誰を加えないかによって、幕府の政治には参加しない家臣たちとのバランスを取ったり、競争心を煽ったりしている。

足利義教の専制的な恐怖政治は、家臣の個々の家の家督問題に介入する形で確立されている(p.193)。著者は有力家臣たちの具体例をいくつか検討し、その様を明らかにしている。嘉吉の乱の直接の原因が、赤松満祐の討たれる前に討つという動機にあったため、この恐怖政治の手法は足利義教自身の最期に直結している(それにしては、なぜこの手法を足利義教が取ったかについての検討はない)。恐怖政治への移行、足利義教の「暴走」を、著者は永享三年の大内盛見の敗死とその後の九州内乱に見ている(p.182-185)。もともと将軍専制の理念があったのだが、もっとも頼りとしていた大内盛見が亡くなり、その他の有力家臣が九州内乱に対して有効な手立てを打てない体たらくだったことが、足利義教を専制に駆り立てたとしている。
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