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網野善彦『増補 無縁・公界・楽』

無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社選書)無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社選書)
(1987/05)
網野 善彦

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組織の形態、活動の実情からみて、非人もまた、検非違使庁に統括されつつ、清水寺・興福寺・東寺などの寺社に結びつき、「清目」・葬送などを「職掌」「芸能」とする「職人」であった。「向飛礫」の党も、おそらく祇園社とつながりをもつ、神人の一つの顔ではないか、と私は考えている。そして、このような人々を含み、定着せずに遍歴・漂泊し、課役免除であったからといって、中世前期の「職人」を、全体として蔑視された、地位の低い階層とみるのも、また、近世以降の「常識」の中で育った独断と偏見をもって、歴史のすべてを割り切ろうとするところから生まれた誤りである。(p.196)

中世の非農業民を研究を続けた著者のやや古い本だが、ここには著者の問題意識が十分に発揮されている。この本が他の日本史家に与えた影響も大きかったようだ。著者は、無縁、公界、楽といった言葉で呼ばれた、通常の荘園などとは違う、公に開かれた場所とそこで活躍した人々について書いている。それは寺社であったり、市場であったりする。公界で活躍した「職人」「芸能」の民とは例えば、「海人・山人などの海民・山民、鍛冶・番匠・鋳物師等の各種手工業者、楽人・舞人から獅子舞・猿楽・遊女・白拍子にいたる狭義の芸能民、陰陽師・医師・歌人・能書・算道などの知識人、武士・随身などの武人、博奕打・囲碁打などの勝負師、巫女・勧進聖・説教師などの宗教人に、一応、分類することができる」(p.187)。

そして著者はこうした無縁、公界に中世日本における「自由」や「平和」を見ている。この自由や平和はもちろん、近代的な概念ではないが、日本が近代化するときその背景の一部になったものと考えられている。こうした無縁の世界は文字通り、俗世界とは「無縁」という性質を持っていた。だからそれはある種の解放を意味する。例えば市場を始めとする楽におけるこの解放は、西洋中世の自由都市に逃げ込んだ農奴が1年以上居住すれば自由な身分になったという、あの「都市の空気は人を自由にする」に類比されるものだ(p.95)。著者はこうした、既存の世界からの解放を日本中世に探そうとしている。

この本が面白いのは増補版での補注として、初版に寄せられた専門家からの批判に答えていることだ。それを追うと、著者がこの日本中世の「自由」を多少とも強引に引き出そうとしていることが分かる。それもそのはず、この無縁や公界、楽といった言葉はどちらかと言えば否定的なニュアンスを持っている。例えば寺社は無縁の場の一つで、犯罪者などが寺社に逃げ込めばそれ以上追うことができないなどの機能を持った。縁切寺である。こうした寺社は日本各地に見られた。しかしそれは結局、犯罪者や無法者を世間から隔離する牢屋の役割を担っている(p.48f,125f)。縁切寺に逃げ込めば、それまでの貸借関係から解放される、つまり借金が棒引きになる(p.52-59)。けれどもその先では、新たに生活を建てなおさなければならず、いきおい生活がさらに困窮して飢餓に苦しむようなケースが多い。現在で言う自己破産である。それは確かに既存の貸借関係からの「解放」であろう。しかし現代でも自己破産した人が、それにより解放され自由な生活を送るかといえばそうでもない。こうした貸借関係からの解放を「自由」への解放と呼ぶのかどうかは確かに人によって趣は分かれるだろう。

こうした「自由」の世界は、絶大な支配権力が存在しなかった中世には成立し得ただろう。だが、統治者にとってはいかにもやりにくいものだ。すでに鎌倉時代、南北朝時代、室町時代という著者が定位する時代にもせめぎ合いがある。織豊期から江戸期に入るとともに、その肯定性は失われていく。無縁は「無縁仏」のように暗い言葉となり、公界は「苦界」に姿を変え、楽は例えば織田信長の「楽市楽座」により管理され、会合衆などにより自治が行われていた堺・大湊・博多といった都市(p.82-95)も消え去っていく(p.129f)。自治都市・公界たる堺が無縁たる西山本願寺と結びつき、織田信長の権力に対抗し敗れ去るわけだ。

だがこうした無縁の人たちが果たした役割は大きかっただろう。例えば合戦の仲介ができるのは公界の者たちだった。特には禅僧だが、こうした禅僧にしても大名などと私的な関係をもつ人は決して仲介役にはなれなかった。無縁の人間だからこそ、敵でも味方でもなく戦乱の中で「平和」の使者を担うことができたわけだ(p.79f,161f)。聖徳寺が織田信長と斎藤道三の会見場となったのはそうした意味を持つ(p.120)。現代でもこうした機能は、例えば国連機関、あるいは各種NGOが担っている。NGOなどはまさに非政府組織だからこそ、国家という縁から切り離されているからこそ、仲介機能を持ちえるわけだ。あるいは、寺社の建設費用の寄付を呼びかけた勧進僧もそうした無縁の一員である(p.164f)。これも容易に理解できる。社会的事業に対する寄付は、現代でもNPOなどが行っている。また、女性という性の無縁性と赤十字を結びつける議論も展開されている(p.200-210)。

さて目についたところを一つ書くと、どうもこの議論は日本の歴史学におけるマルクス主義の潮流に関わっていたようだ。著者はこうした無縁の世界を誰の所有権からも離れた世界とし、そしてこの無所有の世界を原始的世界に位置づける。私的所有は根源的ではなく、逆にこうした無所有の世界の上に、その変質として成り立つと見ている(p.225-235)。この無所有の世界にこそ、自由を見ようとしている。それは人間の原始的私有を基礎に起き、私有に基づいてこそ自由があるとするマルクス主義の考えに反するようだ(p.329f)。後者からすれば、無縁や公界と大名や荘園領主の争いは、単なる二つの私有者の奪い合いに過ぎない。現在の議論状況からだとよく分からないのだが、そうした時代背景もあることは頭の片隅に置いておくべきことだろう。
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