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小倉貞男『物語 ヴェトナムの歴史』

物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)物語 ヴェトナムの歴史―一億人国家のダイナミズム (中公新書)
(1997/07)
小倉 貞男

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ヴェトナムの歴史を概観した本。範囲は中石器時代末期(紀元前2万年から2万5千年前)のソンビ文化、その後のホアビン文化の洞窟文化から始まる。終わりはホ・チ・ミンらによるヴェトナムの独立宣言(1945年9月2日)あたりまでで、ヴェトナム戦争は範囲に含めていない。特徴としては題名の「物語」にもあるように、その時代の特徴をなす人物を取り上げ、その人物の軌跡を中心に描くことにより各時代を解説している。また、ヴェトナムの歴史を北方面、中国との関わりであるA軸と、南方面、東南アジアの各国(現在のタイ、カンボジア、ラオス)との関わりであるB軸という二つの軸から見ようとしている(p.6ff)。本書は4章に分かれているが、おむね第1章・第2章がA軸、第3章・第4章がB軸にあたっている。

考古学的資料の後、本書は伝説上のヴェトナム建国者であるフン・ヴォン(雄王)の話(紀元前2880年頃)から始まる。ヴェトナムは北部、現在のハノイを中心とする紅河デルタ地域に発展し、その後、南へ勢力を拡大していく歴史だ。その位置からして、常に中国と抗争を繰り広げている。対中国の歴史で書かれているものは、ヴェトナムの独立以降、中国王朝が侵略しヴェトナムを支配して圧政を敷き、それに対するヴェトナムの反抗を行い、中国王朝の力が弱まったあたりでヴェトナムが再度独立を取り戻し、次の中国王朝が成立すると再び侵略・支配される。実にずっとこの繰り返しだ。漢と戦ったチュン姉妹、宋と戦ったリ・トン・キエト、元と戦ったチャン・フン・ダオ、明と戦ったレ・ロイ(p.192)。こうした中でヴェトナムに身についたのが、中国王朝に対する面従腹背だ。中国王朝による支配を退けたとしても、ヴェトナムには中国王朝そのものを打破して中国を支配するだけの力はない。対等な国力どうしの争いではない。そこでヴェトナムは、力を示し自治や独立を認めさせる形で中国王朝の支配に封ぜられる道を選ぶ。相手が攻撃してくれば粘り強く反抗するが、そうでなければ自ら行動を起こすことは少ない。こうして抗争の後に恭しく使節を送るような、巧みな外交を繰り広げてきた(p.70, 88f, 121f, 129f)。

中国との関係で見れば、紅河デルタ地域は実に守りにくい土地だ。国境線からハノイまでは約130kmほどしかない。しかもヴェトナム王朝を担い、現在も支配民族であるキン族はハノイを中心とする40~50km周囲に住んでいる。国境近辺には高地、山岳民族が居住している。こうした山岳民族が中国側につけば、あっという間にハノイまで攻め込まれる図式である(p.168f)。こうしたハノイの守りにくさが、南進への動機を生んでいた。だが南方は南方でチャンパ(占城)という有力勢力がおり、抗争を繰り広げていた。南方へは1471年、レ・タイン・トン(この治世はヴェトナムの黄金期と呼ばれる)によるチャンパ征服によって進出する。南進は15世紀に始まり、本格的な支配は17世紀となる(p.163)。

しかしこのレ王朝が終わって1572年、マック(莫)氏が実権を奪うと、ヴェトナムは南北に分かれた内乱の時代になってしまう。この過程で南部に拠点をおいたグェン・フック・アインが、シャムとフランスという外国勢力を頼みにしたことが、その後の植民化の伏線になる(p.187f, 201f)。いわば、内乱に乗じて他国勢力につけ入れられた形だ。こうしてフランスによる植民地化がなされることになる。フランスによる支配には各地で植民地抵抗運動が起こった。特にインドシナ総督ポウル・ドゥメの圧政(p.284-295)に対するものなどが大きいが、これらの運動は各地域に分断されていたため、成功しなかった(p.281f)。こうして、ホ・チ・ミンを中心とするヴェトナム独立運動が国全体で組織されていくことになる。第二次世界大戦ではフランスと並んで日本による植民地支配もあったが、日本の敗戦からヴェトナム独立宣言までの行動の素早さは、入念に組織化・準備されていたことを伺わせる。日本のポツダム宣言受諾が8月14日で、ヴェトナム独立宣言はそれから一ヶ月も経たない9月2日だ(p.346-348)。

ヴェトナムの政治機構を始め社会構造は、儒教を中心的規範であることを初めとして、中国の影響を当たり前だが大きく受けている。だが単に中国のコピー国家とみなせるわけではない(p.90)。稲作の国であるヴェトナムは、農村の村落共同体(「ラン」と呼ばれる)を基本単位としている。それは、ディン(亭)という集会所を中心として数十の家が立ち並び、長老により活動が指導・管理されるものだ。いかに上部の支配組織が変わろうとも、民衆レベルでヴェトナムを構成したのはこうした村落共同体であって、ここにヴェトナムの歴史の原点がある(p.137-146)。
ヴェトナムは社会主義の国だというが、社会の基盤は「むら社会」である。「むら社会」は民主的な運営を行ってきたので、いまもなお、機能している。ヴェトナムは「むら社会」主義の国なのである。社会主義の発展もこの「むら社会」のうえに成り立っている。(p.356)
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