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佐藤卓己『輿論と世論』

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)
(2008/09)
佐藤 卓己

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輿論(よろん)と世論(せろん)について。いまでは輿論という概念はほぼ失われてしまっている。輿論という言葉が使われないばかりか、「世論」をそもそも「よろん」と読むことも多い。例えば、「世論調査」はほぼ「よろんちょうさ」と読まれるだろう。だがこの二つは異なる概念であり、輿論という言葉が失われ、その読みが世論に取って代わられているのは単なる言葉の問題ではない。そこには概念上の問題がある。本書はこの二つの区別と、世論が輿論に取って代わっていく過程を様々な場面で追っていく。そして、世論に抗して輿論の立ち位置を確保することの重要性を訴える。

輿論と世論という言葉は戦前まで区別されていた。その言葉は明治時代の幕開けにその意味を宿している。つまり、まず輿論とは論を興すという意味であり、これは「五箇条の御誓文」(1868年)の第一条「広く会議を興し万機公論に決すべし」から来ている。それは公開討議された意見を意味している。一方の世論とは「軍人勅諭」(1882年)に見られる「世論に惑はず」から来る。輿論とは対比される、私論のことである(p.23-30)。輿論は理性的・客観的な意見であり、世論は国民感情に基づく。したがって、意見(輿論)によって感情(世論)を制御することが民主主義の原則と見なされる(p.35)。英訳すれば、輿論public opinionと世論popular sentimentsである。

もともとこの輿論と世論という概念は混同される傾向にある。戦前は区別されていたとしたが、戦前に混同されている例も多く挙げられているし、それが増えていく。輿論と世論の区別は1925年の普通選挙法成立に至る「政治の大衆化」の中で曖昧になっていき、まともな輿論が許されなくなった軍国主義ファシズムのなかで一体化していくことになる(p.30-35)。

戦後になって、輿論という概念が消失するのに大きな役割を果たしたのは、漢字の使用制限である。1946年11月16日に内閣が告示した当用漢字表において、「輿」の使用が制限されてしまった。この当用漢字表に対して、新聞社は「輿論」という漢字の代わりに「世論」を用いることにした。これにより、輿論という概念は世論によって塗り替えられてしまった(p.82-90)。

ここから著者は戦後の「輿論」と「世論」を様々な場面で追っていく。まずは戦後の世論調査である。戦時中には戦時プロパガンダの形で、国民の輿論を形成するための輿論指導が行われていた。戦後、GHQは日本国民にアメリカ流民主主義の考えを普及させるべく、この戦時中に輿論指導を行っていた人物たちを採用する。ここではプロパガンダと民衆へのマス・コミュニケーションが連続しているのである(p.59)。戦時中にプロパガンダに関わっていた人たちは転向などしておらず、まったく同じ手法で戦後も活躍した。変わったのはメッセージの内容だけである。これらは国民の間に同質性と均質性をもたらそうとする点で何も変わらない。
小山栄三や米山桂三が行った戦時宣伝研究は、戦後民主主義の世論調査研究として開花した。それは単なる歴史の皮肉ではない。総力戦は民衆の支持と自発的な参加を何よりも必要とするが、世論調査は一人一票の平等性の擬制であり、戦時宣伝も世論調査も国民全体の同質性・均質性を理想にしている。つまり、戦時宣伝と世論調査はともに「戦争国家=福祉国家」の学知なのである。(p.99)


それから、8月15日を終戦記念日と設定される流れが、戦争犯罪への責任追及に関する輿論ではなく、むしろそうした忌まわしい記憶を忘却して単なるお盆という伝統行事の中に包み隠す忘却の世論に基づいていることを論じている(p.124-126)。

他には1960年安保闘争において、6月15日にデモの中で死去した樺美智子の父親である社会学者、樺俊雄の見解を巡ったものがある。娘の死の前には輿論を訴えた樺俊雄は、死後には世論に急に傾いていく姿を見せる。さらに東京オリンピックの熱狂、全共闘運動、田中角栄内閣の人気、昭和天皇の崩御を巡る自粛の嵐、小泉純一郎内閣での郵政選挙などに輿論と世論の展開を見ている。ほぼ、世論ばかりが見られ、その陰にわずかに輿論が見られるという印象を受ける。

かくして著者によれば我々は戦後に失われた「輿論」を取り戻す段階に至っていない。「輿論への復員は未だに終わっていないのである」(p.73)。輿論は民主主義が拠って立つところである。世論のみに動かされることはポピュリズムの極地となり、世論の暴走を止めることはできない。世論を批判し輿論を形成することこそ、新聞を始めとするメディアの役割なのだ(p.269)。たとえ一人であっても、世間の空気・世論に抗して、公的な意見を叫ぶ勇気が必要である(p.314)。そのためには何よりもまず、輿論と世論を区別して意識的に使い分けていくことが第一歩となるだろう。
また、「読み方はヨロンでもセロンでも正解」と教え、「(読み方はどうでもよい)世論尊重こそが民主主義」と説いてきた戦後教育こそ改革すべき対象である。世論が「ヨロン」である限り、世論の暴走、あるいはブレーキを欠いた民主主義--ポピュリズムと呼びかえてもよい--を正しく批判する枠組を私たちはもてないのである。この点に限れば、「輿論」のための教育改革は必要である。(p.270)

民主主義とポピュリズムの境界に目を凝らすためには、「輿論=公論」と「世論=私情」を意識的に使い分け、「輿論の世論化」に抗することがまず必要なのではあるまいか。/もちろん、公論と私情は現実には入り混じっており、きれいに腑分けすることは不能である。にもかかわらずというより、だからこそ、いま目の前にあるものを輿論と書くべきか、あるいは世論と書くべきかをたえず自らに問いかける思考の枠組が不可欠なのである。(p.315)


さて、著者も書くように輿論と世論の概念区分は完全に分けられるものではない。輿論(理性的討議による公論)と世論(雰囲気として漂う私情)(p.132)ははたして区別できるのだろうか。戦後の様々な場面を通じて論じられているのは基本的に世論であって、読み進めていくと輿論とは一体何なのかよく分からなくなってくる。輿論も基本的にはそれなりの感情に基づいていて(嫌いなものを客観的・理性的に論じられる人は少ない)、ある意見に反対する人はそれは公論でなく私情だと批判するだろう。好き嫌いが世論であるのは分かりやすいとしても、著者は尊敬する・しないを輿論に割り振っており(p.236)、混乱する。また輿論/世論の概念対が、都市的欧米文化/農村的国粋文化、エリート的密教/大衆的顕教、男性的総合雑誌/女性的家庭雑誌、岩波書店/講談社という概念対と一緒に置かれており(p.221)、これはかなり危険なミスリードのように見える。もしかしてこれはメディア学的手法の限界なのかもしれない。メディア学的手法は事実がどうであるかよりも、それがどう伝えられているかを扱うのだから。著者は輿論と世論がどんな形式で扱われてきたかをずっと追っているが、この対概念そのものの概念分析はこの手法ではなされないかもしれない。世論ではどう伝えられているかが重要であるが、輿論では何が伝えられているかが重要であり(p.216)、メディア学的手法で浮かび上がるのは世論の方だ。

輿論と世論の概念対が重要であることは納得するが、輿論とは何かがいまひとつよく分からない。輿論はどこにあるのだろうか。最近極めて低レベルなものが増えた新聞の社説がそうであるには到底思えない。輿論の世論化は著者も書くように(p.36-39)、実は世界的な傾向である。それは当然だ。政治が一部の特権階級のものではなく民衆に普及していくとき、輿論は世論化する。いちいち理性的・客観的な立論をすることは面倒くさいし時間もかかる。カーネマンの概念で言えば、システム2は高コストなのである。システム1で応答したほうが早いし安上がりだ。一部の暇な特権階級が担っていた時代では輿論を作ることができただろう。だが、万人にそれを求めることはできない。

戦後の日本が世論に抗して輿論を構成することができた例を探すとしたら、脳死臓器移植問題がそれに当たるかもしれない。あの事例こそ、比較的冷静な議論が広範に行われ、死生観という極めて私的感情に関わる問題でありながら、一応の国民的理解を得ることができた事例に思われる。輿論の分析は、著者が見たような輿論が世論に押しつぶされる過程ではなくて、ここに(わずかな希望を含めて)見ることができるかもしれない。
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