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佐藤卓己『八月十五日の神話』

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)
(2005/07/06)
佐藤 卓己

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8月15日の終戦記念日についての極めて優れた論考。8月15日は太平洋戦争の終戦記念日であり、この日に全国戦没者追悼式が行われる。「終戦記念日」というその呼び名からしても、この日に太平洋戦争が終わったのだと多くの人が思っている。

それは誤りである。まず事実関係を洗おう。御前会議にてポツダム宣言の受諾が裁可され、スイスをはじめ各国に通達されたのは1945年8月10日である。それを受けて例えばアメリカは早くも戦勝ムードに入っている。そして1945年8月14日にもう一度、最終的な受諾の回答として各国に通達している。この日、ポツダム宣言受諾を知らせる天皇の詔書(終戦の詔書)が記され、その朗読が録音される。翌15日は単にこの録音が放送された日に過ぎない。そして16日、大本営から各地の全日本軍に戦闘行為停止命令が出されている。この14日のポツダム宣言受諾通知は単に受諾することを通知したに過ぎず、実際にポツダム宣言に基づく停戦協定にミズーリ号上で署名したのは9月2日である。その後、連合国による占領状態を経て、サンフランシスコ条約の発効により(共産圏を除く)連合国との戦争状態が終結したのが1952年4月28日。

したがって太平洋戦争が国と国との間で行われた戦争である以上、その終戦は9月2日である(あるいは4月28日)。百歩譲っても8月14日であって、15日という日付を採用する根拠は無い。あるいは少なくとも国際的に共有できる認識ではない(p.79)。当然ながら、米、仏、露などでの対日戦勝記念日(VJデー)は9月2日である。ただし、台湾、中国は9月3日となっている。韓国と北朝鮮(そしてなぜかイギリス(p.94f)も)が日本と同じ8月15日を採用している。韓国、北朝鮮はおそらく、日本を批判するために15日に対日戦勝記念日(光復節)を合わせている。ちなみに朝鮮半島が国際法上独立を回復したのは1948年8月13日である。しかし8月13日や9月2日に光復節を置いて戦前の日本支配を批判しても、日本ではその日は特に何も重要視されていないので時期を外していることになってしまう。最近は中国でもおそらく同様の理由で、15日にいくつか式典を行っている(p.218-223)。だがこの15日は受諾を知らせる詔書を日本国民が認識した日に過ぎず(詔書自体は14日の日付)、15日を終戦の日とするのは極めて純国内的な理由である。韓国、北朝鮮、中国がこの日に逆に呪縛されているのはなかなか皮肉な事態と言えるだろうか。

著者は本書で、この「8月15日=終戦記念日」がいかにして成立してきたのかを明らかにする。その手法は、ラジオ、新聞といった報道、回顧録などの書籍、そして小中高の歴史教科書といったメディアでの扱い方を追う、メディア学である。単純に歴史学的に事実を追うのではなくて、事実でないものが扱われてきたその形式を問うている。著者の次の対比が面白い。
文学研究が「表現」、歴史研究が「事実」の分析であるとすれば、メディア研究とはまずその「形式」の分析である。今日、「記憶の戦場」と化している歴史教科書を冷静に考察するためには、まずメディア論の「形式」まで退いて検討することが有効に思える。(p.193)


結論を記せば、「8月15日=終戦記念日」の法的根拠は何と1963年5月14日に第二次池田勇人内閣が閣議決定した「全国戦没者追悼式実施要項」(p.74f)である。つまり終戦から18年も経ってから、8月15日が終戦記念日と定められている。とはいえ、この1963年の閣議決定は追認にすぎない。メディアにおいて、8月15日に終戦特集が組まれる流れが定着したのは1955年である。この1955年は自由民主党の保守合同を典型として、政治的・経済的にも(かの「もはや戦後ではない」は1956年だが)大きな転換点、戦後体制の確立された年として記憶されているが、太平洋戦争の終結についての日本の認識が成立した年でもあり、著者はこれを「記憶の55年体制」と名付けている(p.112-115)。もちろん、戦後直後にも15日を終戦の日として扱っている事例はある。1946年8月15日の朝日新聞には、終戦一周年の特集が組まれている。また、読売新聞もそのような扱いである。とはいえ、統一された認識はない(p.108f)。そこにはGHQをはじめとする連合国占領体制の意向が働いている。もともと戦時中から8月15日は戦死者の慰霊法要が行われていた。これはお盆の儀式である。終戦直後は、9月2日を終戦の日とするアメリカの認識と、神道の政教分離政策から8月15日を終戦の日とする共通認識は取りえなかった、と著者は見る。占領体制のタガがサンフランシスコ条約の発効で外れてから、徐々にこの認識は広まっていく。メディアの報道では、1954年に初めて8月15日=終戦と戦没者慰霊が結合した記事が見られる。ちなみにこの定着の過程は、ラジオからテレビへの移行と同時期である(p.173-184)。

こうして定位される15日だが、この日はそんなにメモリアルな日なのだろうか。雑音交じりの音質の悪いラジオ放送で、漢語を多く含んだ難解な文章を独特の抑揚をもって読まれた玉音放送を聞いて、果たしてどれだけの人が内容を理解できたのだろうか。著者は本書の冒頭で、玉音放送を聞いた日本人の像がいかに作られてきたかを追っている。この部分は推理小説で容疑者のアリバイを崩していくようなスリルがある。まず、玉音放送は天皇の音声だけではなく、それに続いてアナウンサーの和田信賢が内容を解説する部分がある。むしろ後者の方が長い。おそらく多くの国民は後者の解説を聞き、遅配された朝刊(15日の朝刊は玉音放送後に配送された)を読んでようやく内容を理解したであろう。

ということは、ありがちな「玉音放送の天皇の音声を聞いて敗戦を理解し、うなだれて涙する日本国民」という像はフィクションである可能性が高い。こうした文脈で有名なのが北海道新聞に載ったうなだれる少年たちの写真と、九州飛行場での女子挺身隊の泣き崩れる写真だが、著者はこれらの素性を調査し、怪しい写真であるという結論に達している。写真に写っている本人の証言によれば、北海道新聞の少年たちの写真はいわゆるヤラセであるのみならず、一部合成写真ですらある(p.29-32)。また、女子挺身隊の写真も多くの疑義がある。撮影者のいる位置が不自然だし、昼休憩の、しかも最敬礼で聞くこととされていた玉音放送になぜ工具をもって集まっているのか、軍事機密に当たる飛行機が映っている、等々である(p.32-51)。また同盟通信社の配信した、玉音放送を聞いて天皇に詫びようと皇居前で土下座する人の写真は、本人によれば前日のヤラセ写真だし、それに付された原稿は入稿の時間からして当日の玉音放送後に書かれたものではありえず、事前に書かれた予定稿と考えられる(p.58-66)。これらを踏まえ著者は、玉音写真(玉音放送を聞いた人たちの写真)は15日に戦前と戦後の境目を置いてここからは戦後だという断絶の演出であり、戦後の復興に向けた戦意発揚のプロパガンダ写真だと指摘する(p.56f)。ちなみに、戦前と戦後の断絶性を疑問に付し、その連続性を探るのはこの著者のお得意の思考パターンだ。

こうして8月15日の神話が仮構される。この上に、丸山眞男をはじめとする「8月15日革命説」が乗ってくる。著者によれば、「8月15日=終戦記念日」という体制は15日革命の神話を掲げる進歩派と、9月2日降伏を否認したい保守派の利害一致の結果であるという(p.211,256)。とはいえ、15日にそれなりの(純国内的な)根拠はある。一つは玉音放送の儀式的性格である。玉音放送は天皇による祭祀の儀式であった。ラジオを通してという形であれ、国民が同じ体験を共有し、その儀式に参加した。玉音放送自体は1946年5月24日にも別内容であるのだが、こちらの玉音放送がほぼ忘却されているのはこちらには祭祀性がないためだろう。ここに終戦記念日の記憶を定位させる根拠の一つはある(p.147-149)。もう一つは、そんな難しい話ではなく、15日がお盆(月遅れ盆)だということだ。先にも述べた通り、戦前から8月15日は戦死者の慰霊法要が行われていた。戦後の全国戦没者追悼式はこの直接の、連続的な継承である(p.173)。戦死者は特別の慰霊を必要とする。なぜならそれは多くの場合、非業の死であり、また多数が若者で子孫もいない無縁仏になる。非業の死を遂げたものはきちんとした慰霊が必要であり、そうでなければ化けて出てくるというのは日本に昔からある死者観だし、無縁仏は地域共同体による慰霊を要するというのもそうだ。したがって15日が戦没者慰霊の日として全国的に慰霊を行うのは、純粋に国内的な理由としてはあることである(p.169)。他に著者は全国高等学校野球選手権大会と8月15日の関わりを書いているのが、それはあまりポイントがないと感じる。確かに15日に戦没者の慰霊のために試合を一時中断するのは戦前からあるのだが、全国高等学校野球選手権大会は別に15日に常に決勝戦をやったりするなど象徴化しているわけではなくて、その時期に行われているにすぎず、そもそも1941年から1945年まで中止されている。

さて後半は、小中高の歴史教科書において終戦の日がどう扱われているのかを細かく追っている。一つ一つの出版社の記述を追い、また家永裁判や新しい歴史教科書をつくる会と終戦の日の認識について綴っているが、どうも論点が散逸してしまっている。記述の細かさから言っても、それまでの記述とは趣が違う。結論から言うと、それぞれの出版社の記述は年代を追って変遷しており、かなりバラバラである。最近の傾向では小学校教科書では15日を終戦の日とするものが多い(p.231, 251)。しかし、高校教科書では9月2日を終戦の日とするものが圧倒的である(p.217, 249-251)。これはちょっと意外だった。とはいえ確かに、9月2日が終戦の日という認識が若年層に浸透しているかとはいえば、そうではない。著者は教科書を通じた国民的意識の醸成を追っているのではなく、文部省検定を経ていることからして公的な認識の変遷を追っているのだろう。

本書の結論は、終戦記念日を戦没者追悼と平和祈念に分割しよう、というものだ(p.251f, 257f)。憲法改定より終戦記念日の改訂の方が先だ。8月15日が戦没者追悼であり、9月2日が平和祈念の日とする。「15日の心理と2日の論理」とまとめられているが、著者の別書の言い方を取れば、15日の世論と2日の輿論であろう。確かに戦没者の追悼を行うことは当然である。だが、平和祈念がそれと一体になってしまっているため、戦没者は戦没者で等し並みになってしまっている。これを分離し、戦争の経緯や責任について冷静に考察する機会が確かに必要である。ただ、戦争の悲惨さを説くだけで、なぜそのような結果になったのか、誰に責任があり何が悪かったのか、ほとんど問われることもない日本で、15日と2日の分離がどこまで実現可能かは分からない。
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