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佐藤卓己『天下無敵のメディア人間』

天下無敵のメディア人間: 喧嘩ジャーナリスト・野依秀市 (新潮選書)天下無敵のメディア人間: 喧嘩ジャーナリスト・野依秀市 (新潮選書)
(2012/04/27)
佐藤 卓己

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野依秀市(本名は秀一、1885-1968)という人についての評伝。この人物は大分・中津生まれの、大正から昭和にかけての言論人で、『実業之世界』『真宗の世界』『帝都日日新聞』などの発刊人として活躍した。しかしこれらの雑誌・新聞や野依の名前も、いまではほとんど知られていない。その意味では野依は負け組メディア(p.32)の人であり、著者の狙いは勝者からでなく敗者から歴史を学ぶことである。

この野依という人物、極めて個性的というかアクの強い人間である。本書の「喧嘩ジャーナリスト」という副題が示す通り、野依にとって自身のメディアは論敵に対して徹底的に罵声を浴びせる場だった。その思想的立場は時代によって、論敵によって万華鏡のように変化する。ある人から見れば右翼であり、ある人から見れば左翼である。その都度、仮面が変わるのだが、かといって仮面の下の素顔など存在しない。仮面の下はまた別の仮面である(p.60f)。
野依秀一の言論とは、敵本位主義の喧嘩ジャーナリズムである。それは社会悪と見立てた相手を徹底的に攻撃し、その批判の過程で自己生成する行動主義と呼べるだろう。だから、野依式ジャーナリズムの内部に、守るべき絶対的価値、正義は存在する必要がない。論敵を否定する中で対抗的に価値は形成されるのだ。そこに野依式ジャーナリズムの瞠目すべき躍動感が生み出された。左翼からは「右翼への転向者」、右翼からは「左翼の隠れ蓑」と批判された理由も、この敵本位主義にある。(p.86)

おそらく、野依式ジャーナリズムは娯楽としてのジャーナリズムなのだろう。論難の舞台を設定して、敵と味方を明確に分け、どちらが勝つのかに注目させる。いまだと劇場型とも称されるだろう。野依式ジャーナリズムとは、ジャーナリズムがその本懐とされる権力批判を立て看板としながら、文化の商品化をするものだった(p.38)。そもそも野依自体、人に代筆させることが多かった。発言内容の真偽より、発言する媒体・著者名が重要だという発想を持っていたのであり、これは優れてメディア論的発想である。野依は自分自身を広告媒体と強烈に意識した宣伝的人間だ(p.24-27, 275)。多数の恐喝等による投獄の体験記、また自身の結婚話すら雑誌のネタにする。自分自身についての記事が多く、まさに自らがネタの宝庫なのである。

言説や気性の激しさに似合わぬ四尺八寸七分(≒147cm)の身長(p.42)、幼少期からの虚言癖、金持ちへの関心、盗癖(p.46f)。野依は同郷の福沢諭吉の慶應義塾に夜学入学する。この慶應人脈を使って、学生のうちから政財界の重鎮とコンタクトを取ろうとするのだが、その際には紹介者として福沢桃介を利用した。どうやら福沢桃介の名刺を勝手に印刷し、懇意であると騙ったようだ(p.56)。

こうした人間が果たしてどれだけ信用されるだろうか。ここが驚きだ。野依を学生時代から寵愛し、バックアップしたのは何と財界人では渋沢栄一、言論人では三宅雪嶺である。学生時代からこのような大物がその雑誌経営の支えとなっている。野依の出版物はさほど売れたわけでもなく、現在では忘却の彼方だが、関わっている人々は錚々たるものだ。『実業之世界』一周年記念で演説したのは大隈重信(p.81)。これは1909年、野依24歳のとき。この前年には大隈を始め、後藤新平、高橋是清、伊藤博文にまで突撃インタビューを行っている。1925年のことだが、かの日銀総裁・井上準之助に資金援助を乞うて(結局は川崎造船所専務の永留小太郎が資金を出したようだが)外遊。アメリカでクーリッジ大統領と会談している(p.234f)。1932年の『帝都日日新聞』の創刊費用は、三井や三菱財閥の人間、明治製糖、日本石油(小倉常吉)などから出ている(p.288)。ちなみにこの『帝都日日新聞』の編集部には転向左翼を始め、規格外の異才たちが集まっており、そのなかには草野心平がいる(p.290-293)。なんだか訳が分からない。

ちなみにもう一つ。1920年に野依は愛国生命に対する恐喝による禁固4年の刑期を満了して出所する。そして翌年創刊したのが『真宗の世界』。野依は刑期中に天啓を受けて浄土真宗に開眼したそうで、これ以降仏教に関する書籍を大量に出版している。この突然の開眼自体解せないことだが、この『真宗の世界』の創刊にあたっても名だたる学者学僧がバックアップしている(p.194-196)。さすがである。だがその雑誌の内容は結局は喧嘩ジャーナリズムであって、本願寺を焼き討ちせよとか、親鸞を罵倒してみたりなど相変わらずである(p.196-200)。

野依の言説とは結局、世論の一歩先を捉えて時流に乗ることだ(p.333f)。したがって世論の向かう先が変われば、それを先んじて感知して野依の言説も変わる。対米英戦争の先唱者となり陸軍から絶賛されたため、戦後の視点からは右翼と捉えられがちな野依だが、戦前はむしろ社会主義に接近しており、社会主義者との交流も多い。それ以外にも例えば経済的見地から、国内の産業育成さえ不十分であるのに国外に侵出する日本を批判し、台湾すらきちんと植民地運営できていないのに韓国まで植民地化するとはもってのほか、とのコメントも見える(p.141-146)。アメリカの排日移民法(1924)に対する国内の抗議の声に対して、アジア諸国を差別視している日本にそんな資格があるのかと述べていたりする(p.225-227)。野依に通底するものがあるとすれば、平等主義だろう。この点において彼は戦前でも戦後でも転向してない(p.244-257)。普遍選挙について一貫して支持しているし、平等主義ゆえ軍部の独走を批判、天皇機関説を擁護する立場となる。ただしここに強行外交の煽動が加わるところが奇妙なところである(p.305)。

野依ジャーナリズムの主要敵は明治では藩閥、大正では官僚、昭和では軍部であり、またどの時代でも権力者に十分な批判をしない同業者だった(p.311)。5・15事件以来、誰もが軍部について明確な批判を避けてしまった中、その空気に抗して軍部批判を展開する気概には迫力がある(p.305-311)。とはいえこの後、対米英戦争の先唱者として軍部から持ち上げられるのはよく分からない展開だ。

結局、野依が他のジャーナリストと決定的に異なった点は、「日本には珍しく徹底した個人主義者」(p.205)だったことだと著者は見る。本書は野依秀市という極めて捉えにくい人物を、その主張、論敵、浄土真宗との関わり、国政への立候補、等々のポイントを押さえて明らかにしている。読んでいてその突拍子もない展開に驚くことも多く、着いていけなくなることもあるが、とても面白い。
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