Entries

佐藤卓己『大衆宣伝の神話』

大衆宣伝の神話―マルクスからヒトラーへのメディア史大衆宣伝の神話―マルクスからヒトラーへのメディア史
(1992/12)
佐藤 卓己

商品詳細を見る

著者の院生時代の論文を集めたもの。テーマは、ドイツ社会民主党(SPD)の労働者に対するプロパガンダ戦略である。それを主に新聞や雑誌というメディアに現れたものから見ていく。テーマ設定にやや時代的なものを感じるし、日本の読者からするとずいぶんと特殊なテーマだ。SPDの前身の一つであるドイツ社会主義労働者党から説き起こし、第二次世界大戦前にヒトラーにより壊滅させられるまでの、1875年から1933年までを扱っている。

全体を導く概念枠となるのが、教養に基づく市民的公共圏と無教養の労働者的公共圏との対比だ。最初に著者は、公共圏の研究として有名なハバーマスを引きながら、彼の公共圏からは無教養の大衆が排除されていると指摘する。実際に、ハバーマスが公共圏を分析した1850年頃の新聞や論壇は、教養のあるものたちに対して開かれていた。無教養のものたちは新聞や論壇の論説を読んでもよく分からないし、書き手もそうした人間を相手にしていない。労働者の団結を呼びかけたマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』(1848)でさえ、その宛先は労働者そのものではない。その宛先は教養を備え、理論的思考を備えた人間たちであって、おおよそ無教養の労働者そのものではない。こうして、市民的公共圏は無教養の大衆を排除し続けていた。

ここにドイツ社会主義労働者党(1890年にSPDに改称)を率いたフェルナンド・ラサールの戦略が位置づけられる。ラサールは労働者をはじめとする大衆にアプローチするために、論説ではなくアジテーションをもってした(p.15-21)。労働者を動かすのはその理性ではなく、感性である。ラサールは労働者の感性に訴えかけ、自身を個人崇拝として象徴化した。この路線はラサール以降のベーベルら主導者にも引き継がれていく。SPDはアジテーション戦略を取ることにより、祝祭文化を創造した(p.43-52)。

SPDのアジテーション戦略により労働者的公共圏が形成されていくと、徐々にSPD自身が変質していく。労働者的公共圏が拡大するにつれ、SPDは官僚的な組織運営や活字メディアを取り入れていく。それはSPDの支持層が拡大したことへの応答であるし、活字メディアの活用は労働者層の教養レベルが上がった結果であり、SPDが目標としたものでもあった。だが、それは労働者的公共圏が教養を備えた市民的公共圏に近づくことでもあり、ラサールが毛嫌いしたそのものである。こうしてSPDからは徐々にラサール的祝祭文化が失われていくことになる。祝祭という宗教的文化から科学へとSPDは科学化され、脱ラサール化つまりマルクス化していく、というのが第二次世界大戦に向かってのSPDの大きな流れである(p.57-59)。

ラサール的煽動政党としてのSPDの後に、フックス的宣伝政党としてのSPDが扱われている。フックスは新聞を中心とした、SPDの宣伝戦略を先導した。こうした新聞読書の普及に当たって、石油ランプの普及、郵便ネットワークの形成、印刷技術の向上、電信技術の発展の寄与が忘れられてはならないだろう(p.66f)。労働者に新聞が普及していったとはいえ、無教養な労働者に普及したのは解説記事や投稿欄の充実した新聞より、ニュースや文芸欄、広告のある新聞である(p.90-92)。ここで大いに活用されたのが漫画、カリカチュアである。例えばアメリカを鷲やアンクルサムで代表させるような一コマ漫画だ。これは何より論説を読むよりはるかに分かりやすいし、特徴が誇張されていて印象的だ。こうしたメディアに着目したのは著者のとてもユニークなところだ。この部分は著者の修論らしいが、よくできている。

フックスについで、『真相』(Der Wahre Jacob; 本当のヤコブ)というSPDの風刺漫画雑誌に乗った風刺漫画を追いながら、SPDが国内や国外の問題をどのように捉え、大衆にどのように発信していていたのが詳細に辿られている。なかでもSPDが自らのシンボルをフランス革命の「マリアンヌ」の像としながら、同時にこれがフランスのシンボルともしていたという多義性に注目している(p.176f)。このシンボルの混乱はSPDがシンボルを用いた宣伝戦略において一貫性を欠いていたことを示すだろうし、それがナチスとの対比で問題となってくる。

かくしてSPDを発展させてきたのはこうした宣伝戦略である。SPDは労働者の心性に支えられ発展してきたのであって、マルクス主義理論などではない(p.140)。だがこうした戦略は、20世紀を迎えるにつれ陰りが見られるようになる。20世紀になると様々なメディアが普及し始める。集会と新聞という19世紀的メディアだけでは労働者公共圏を守れなくなってくる(p.163f)。特に影響力を持ち始めた新たなメディアが、ラジオである。SPDはラジオに高い文化的価値、労働者を結びつける機能をみていたが、19世紀的伝統からなる労働者的公共圏はラジオに耐えられなかった。ラジオはむしろ、労働者的公共圏を破壊する方向に働いた。一方でSPDの弱点は、あくまで労働者的公共圏に固執し閉鎖的だったことだ。この点で言えば、教養に固執し無教養の人間を排除した、SPDが批判対象とした市民的公共圏の閉鎖性と変わりはしない。SPDのラジオに対するアプローチの失敗を、著者はこの点に見る(p.196, 224, 227)。SPDの対象は、あくまで無教養であることによって国家から疎外されていた人間であった(p.209)。

おまけに、20世紀になってSPDはラサールの煽動政党、フックスなどの宣伝政党を経て、大衆組織政党へ発展する(p.141-151)。ラジオと関わった時代のSPDは組織化の時代であり、ラジオはSPDにとって労働者を解放するメディアでなく国民統合のメディアであった(p.202f)。この点がナチスとの対比で問題となってくる。

ナチスに対抗するSPDの戦略について書かれた部分は、とても面白い。ここで鍵になっているのがシンボル闘争である。ナチスは思えば実にうまくシンボルを利用している。かの鉤十字がそうであるし、ローマ式敬礼の仕方、"Heil Hitler"という呼び声。こうしたシンボルを多用し、論理よりもアジテーションで大衆を動かしていくそのやり方は、むしろヒトラーがSPDに学んだものだ。こうしたナチスの戦略に対して、SPD側ではチャコティンという人物が取り上げられている。この人物は、SPD側でも大衆の感性に訴えるような戦略が必要だと主張した。こうして提唱されたのが反ナチスのシンボルとしての三本矢であり、拳を握り腕を突き上げる敬礼の仕方であり、"Freiheit"(自由)という呼び声である(p.229-232)。その主張によれば、非暴力の暴力的宣伝が、ヒトラーに対抗するために必要なのである。これはつまり、ラサールのアジテーション戦略に戻ることを意味している(p.253-254, 264f)。

だが、SPDの幹部たちはこの三本矢の戦略を単なる選挙対策としか見なかった。SPDは大衆組織政党の時代であり、ナチスに対する全体戦略を欠いた優柔不断に陥っていた。シンボル闘争を全党的に統括するシステムの不在だったことが、SPDがナチスに対抗できなかった要因である(p.280-287)。SPDはその初めから、労働者の文化向上を叫んだ。だが、ナチスの戦略は国民文化そのものを労働者のレベルに合わせて切り下げることだった。そして勝ったのは後者だった(p.314f)。

メディアを通した大衆宣伝戦略という視点が面白く、ワイマール期のSPDという馴染みの薄い話題でも興味を持って読める。ただ複数の論文を集めたものなので時系列で並べられているとはいえ、テーマの緊密性ではやや不満が残る。例えば、ナチスとSPDのシンボル闘争においてラジオが触れられていない。また、副題のマルクスからヒトラーへというフレーズはややミスリーディングに見える。ヒトラーのメディア戦略はあまり大きく取り上げられてはいない。とはいえ、大衆と教養、アジテーション、宣伝といった観点で、現代においても多くを考えさせられる本だ。
スポンサーサイト
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
http://exphenomenologist.blog100.fc2.com/tb.php/633-0c4f5a99

トラックバック

コメント

コメントの投稿

コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する