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佐藤卓己・孫安石編『東アジアの終戦記念日』

東アジアの終戦記念日―敗北と勝利のあいだ (ちくま新書)東アジアの終戦記念日―敗北と勝利のあいだ (ちくま新書)
(2007/07)
佐藤 卓己、孫 安石、他

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戦前生まれの保坂【正康】は、正しい歴史認識の定着を「三世代か四世代あと」と見るわけだが、戦後生まれの私たちは、自分たちの責任において歴史を正しく選びとりたいと考えている。つまり、内向きな八・一五終戦記念日に固執することは、世界に対して目を閉ざし、対話を拒否する姿勢と思えてならない。(p.19)


東アジアの各地域において第二次世界大戦の終戦がどのように考えられてきたかを巡って、研究グループが記したもの。扱われている地域は沖縄、南樺太・千曲列島の北海道、北朝鮮、韓国、台湾、中国。これらの各地域で、第二次世界大戦の終戦に関して認識は大きく異なっている。本書では佐藤卓己氏の枠組みを得て、各種の終戦記念日を巡る各メディアの取り上げ方を中心にすることにより論じている。

日本本土の認識を見れば現在は8月15日が終戦記念日と定められているが、この日は終戦の日ではない。8月14日のポツダム宣言受諾か、9月2日の降伏文書への調印が停戦の日であって、戦争状態の終結という意味での終戦はサンフランシスコ講和条約の発効日の1952年4月28日であろう(それでも連合国各国との終戦であって、全交戦国ではない)。日本本土の事情でも複雑なのだが、各地域に関しても複雑さは多い。それは当たり前で、終戦といえども一瞬で達成され状況がガラリと変わるものではなく、ステップを踏んで徐々に進むものだ。韓国や台湾などの日本の支配下にあった地域でさえ、例えば8月14日に一斉に日本の支配が消滅したものではない。終戦の日としてはどこかの一日に定めなければならないのだが、それは難しい。そうした状況でどの日に定めるかによって、各地域の事情と認識が見えてくる。

本書自体は各地域の事情を扱っているとはいえ、歴史的事項の整理が大きな比重を占めているものが多い。そのため、その日付を採用することに何の意味があるのかについては、考察が少ないと感じる。例えば北朝鮮の事情について、8月15日が祖国解放記念日と定められている。だがソ連軍が平壌に到着し「解放」したのは8月24日である(p.144)。8月15日の玉音放送を端とする情景について記されていて、8月15日が特別な日のような印象を受けるが、これとて玉音写真や終戦を巡る記憶がいかに作為的・無作為的に偽造されてきたかを考えると、額面通り信じるのを躊躇する(韓国の事例も同じ)。こうしたなか、なぜ8月15日なのかについてほぼ説明がない。一方で韓国は単独政府が樹立されたのが1948年8月15日なので、8月15日という日付に1945年と1948年の二つを託すことに意味があるだろう(p.136)。また、中国本土の事情として『大公報』と『益世報』という二つの新聞メディアが8月15日と9月3日のどちらに抗日戦争の記憶をとどめるかを巡って揺れている様が描かれている(p.222-239)が、ここでも8月15日という日付の正統性と正当性については沈黙したままだ。

そうした意味でよく書けているのは沖縄の認識を巡るものだ。沖縄の終戦認識はかなり複雑だ。沖縄を巡って記憶されている日付は、牛島満中将が自決し組織的戦闘が止んだ1945年6月23日(沖縄慰霊の日)、サンフランシスコ講和条約の発効により米国施政権下に入った1952年4月28日、日本に統治権が返還された1972年5月15日といったところだ。1945年8月15日は日本本土の、いわば「あちらの」記念日に過ぎない。そもそも、8月15日時点では日本放送協会沖縄放送局が爆破されていたため、沖縄に玉音放送は流れていない(p.88)。1950年代になって6月23日が取り上げられるようになる。沖縄内部を考える6月23日、本土との断絶・批判を考える8月15日となった。サンフランシスコ講和条約に基づく米国統治時代には6月23日の語りが消滅するが、これは著者は過去よりも米軍接収など現実の問題に向き合わなければならない沖縄の事情を見ている(p.105)。この四つの日付はさらに、沖縄の日本への変換が近づくに連れて揺れ動く。それは駐留米軍の土地接収などを巡る対米批判や、沖縄返還を巡る日本本土への批判(ベトナム戦争の基地としての沖縄、米軍負担の集約地としての沖縄)によって複雑になっている。どの日付を重視するのかは時期によって移り変わり、現在は平和への祈念・慰霊の心情を込めた6月23日と8月15日、それに対して戦後の沖縄の位置づけを巡って米軍・日本本土を批判する5月15日(4月28日は5月15日の陰に隠れる形となった)になっている(p.118)。

総じて、第二次世界大戦の終結を巡る各地域の様子として歴史的事項がよくまとまっており、例えばアクセスできる資料の少ない北朝鮮の様子など参考となる記述となろう。だが、終戦記念日の認識を巡る論考としては、いま一つ考察の深みが足りないように感じられる。
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