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ゲオルゲ・モッセ『大衆の国民化』

大衆の国民化―ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化 (パルマケイア叢書)大衆の国民化―ナチズムに至る政治シンボルと大衆文化 (パルマケイア叢書)
(1994/02)
ゲオルゲ・L. モッセ

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タイトルにあるように、ナチズムが盛大に用いた大衆煽動の方法を巡って書かれたもの。ナチズムはナイーブに考えられるように、狂信的な政治家たちがそれに反対する国民を恐怖政治で抑え込んだものではない。むしろそれは国民に熱狂的に支持されたのであり、(手続き上は)実に民主主義的に選ばれたものだ。著者はこうしたナチ党のやり方を「新しい政治」と呼んでいる。ナチズムはこの新しい政治、大衆を巻き込み支持させる戦略が実にうまかった。全体主義はハーメルンの笛吹き男のように指導者が大衆を導いていったというより、大衆運動に支えられたものだ(p.17)。そしてここで指導者と支持者を結びつけたものを、著者は世俗宗教に見る。

ナチズムは宗教的なものを多く取り入れた。ナチ党主催の集会はとても儀礼的だった。著者が本書で明らかにしようとするのは、この世俗宗教、祭祀、儀礼的なものはナチ党の発明ではなく長い歴史を持つことだ。それは18世紀のルソーの構想から脈々と発展し、ナチズムに流れ込んだ。それはドイツに限られるものでもないだろう。ルソーの「一般意志」から始まり、ナポレオンに対抗するための結束、またドイツの小邦分立主義からビスマルクによる統一へ至る中での高揚した祖国愛を維持するために連帯の必要性(p.135)。つまりナショナリズム(国民主義)の歴史である。

この過程を著者は、実に多様な分野にわたって辿っている。それは彫刻、絵画、建築、歌劇、記念碑、集会広場、合唱団、射撃、労働者集会、等々。圧倒的だ。こうした分析を通じて、ナチズムが利用した世俗宗教の各要素が浮かび上がってくる。結論として記せば、それは次のようにまとめられている。
【ナチ党集会の】参加者にとって何よりも重要だったのは、その象徴的内容だった。つまり参加した崇拝の儀礼的表現こそ、帰属意識にとってまったく決定的なものであった。[...]党主催の大衆式典、公的祝祭、「礼拝の時間」は、新しい政治宗教の直截的な具現化だったのである。[..]この「新しい政治」--本書ではそう名づけた--は、伝統的キリスト教儀式を多く改作し、またその連想のために幾分かはキリスト教以前の異教時代にもさかのぼった。さらに、古典主義の影響は決定的重要性を持っており、実際、美と形式の理想はそれによって支配されていた。(p.219f)

だが多様な分野の膨大な文献を渉猟しつつ書かれているため、見通しのよく見えない議論が続く。芸術分野にあまり自分が詳しくないこともあって、全体のどんな文脈に置かれた記述なのか判然としないところが多い。あまりにも大量の論点を含んでおり、ナチズムが利用した世俗宗教の発展として一筋にまとめ切れている本ではない。

ワーグナーについては多少とも知っているので、その位置づけはとても面白く読んだ。ワーグナーが太古のゲルマン神話を取り上げ、またキリスト教的装いをそれにかぶせていたのは、オペラの劇的な効果も相まって、大衆を国民へと統合する機能を持った。ワーグナーの音楽は端的にバイロイトの「祝祭」だったのだ。
以前には国民的自意識がそのシンボルや神話や祝祭に幻想的魅力を与える必要はなかった。幻想的要素は確かに存在していたからである。しかし、ヴァーグナーが提示したのは、国民国家統一を達成したのち自己満足に浸りきったブルジョア社会に国民的祭祀を復興させる自覚的な試みであった。彼はドイツ国民祝祭協会のような組織が失敗した領域で成功を収めた。ヴァーグナーの作品は古代の神話を強調し、それをキリスト教信仰と中産階級道徳に結びつけたからである。さらに、彼は具体的な芸術作品の創作によって議論が抽象化することを回避していた。(p.114)
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